4月1日に千秋楽を迎えた弦巻楽団『わたしたちの街の「ジュリアス・シーザー」』。SCARTSコートで上演される初の演劇作品として注目を集めました。
d-SAPはこれまで2本の特集記事を掲載しました。ジュリアス・シーザー特集最終回となる今回は、会場となった札幌市民交流プラザ 館長の石井正治さんと演出の弦巻啓太さんとの対談です。
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市民が意図せず文化芸術に出くわす
弦巻啓太さん(以下、弦巻) 2019年3月24日から4月1日にかけて、札幌市民交流プラザ SCARTSコートで『わたしたちの街の「ジュリアス・シーザー」』という作品の公開制作と上演をさせていただきました。
あの場で演劇公演を行うのは初の試みでしたが、企画に対しどのようにお考えでしたか。
石井正治さん(以下、石井) 当事業は、SCARTSの公募企画事業でした。企画を公募する際に私たちが考えていたことは、文化芸術を狭くとらえずに、SCARTSを多様な表現・創造活動に利用してほしいということでした。
札幌市民交流プラザはオープンして間もない、まっさらな施設ですので、市民の皆さんのクリエイティビティを活かして、これからどのようにこの場を使っていけるかを模索したかった。
そのため、公募企画事業の選定基準の軸となったのは、実験的であり、そしてクオリティが高いということでした。こうして、70近くの公募企画から11の企画を選定させていただきました。
美術や写真の展示などももちろん選定しましたが、それだけでは、ただ街中に新しいギャラリーが出来たということと変わらなく、面白くない。
札幌市民交流プラザの特徴として、3Fから上は劇場空間(札幌文化芸術劇場 hitaru)ということもあり、1F・2FのSCARTSの空間を使って、3F以上で行われる演劇やダンス・パフォーマンスなどの舞台芸術に関心を持つ方を増やしていきたいという考えもありました。
そういう中で、弦巻楽団から、カフェと図書・情報館の間にある開かれた空間、市民の方々が意図せず文化芸術に出くわす、というこの場所の特徴を活かして、演劇をしたいという提案をいただきました。
この試みは、私たちがまさに考えていたことでもありましたので、「お、これは」と選定委員の全会一致で選ばせていただきました。
弦巻 ありがとうございます。公募企画事業に、本公演としてではなく演技講座の発表公演で応募することには意図がありました。
弦巻楽団は、本公演では札幌で活動する経験豊かな役者だけで構成された演劇も作っていますが、それと同時に初めて演劇に触れる人も参加できる、演技講座という活動も行なっています。
この活動を続けていく中で、思わぬ発見がたくさんありました。演劇を積み重ねてきた人ではない、初めて演劇に取り組む人の可能性に、普段自分が演劇活動をしていて取りこぼしているものがたくさんあるんじゃないかと感じるようになりました。
参加者の経験値にかかわらず、市民の皆さんと一緒に演劇を作っていくこの活動は、札幌でしか、この場所でしか生み出せない文化芸術のタネがいっぱい詰まっている。その発見を、たくさんの人の目に触れてもらいたい。こういう演劇の作り方もあるんだと気づいてもらえたら嬉しいと、ある種の希望を持って活動を続けてきました。
札幌市民文化交流プラザができ、SCARTSが公募企画事業を行うということを知り、「ここで講座を行えたら、希望をかなえられるんじゃないか」という思いで応募させていただきました。
演劇関係者の方々からは、せっかくこういう場所で公演できるのに本公演とは違う企画で取り組むことに対して、疑問を感じる声もありました。しかし、本番を観てもらえたらきっと納得してもらえるんじゃないか、その面白さに気づいてもらえるんじゃないかと思っていました。
公開制作や本番をご覧になってみて、石井さんはどのように感じられましたか。
石井 演劇という閉じたコミュニティを開いていくことは、非常に重要なことだと思います。そして、札幌市民交流プラザは、アクセスの良さから言っても、それができる場所なのではないかと思います。
『わたしたちの街の「ジュリアス・シーザー」』は、演劇を作る過程も見せるという、ものすごく開かれた企画でした。ここまでチャレンジしていただいたということはすごいことなんですけれど、たとえここまで踏み込まないとしても、SCARTSコートや3Fのクリエイティブスタジオで演劇が上演されるというだけでも、市民の皆さまの演劇に対する距離感は、だいぶ縮まるのではないでしょうか。
札幌市民交流プラザは、演劇に初めて、それも偶然出会うことができる場所です。チラシを目にするだけではなく、たまたま通りかかったら声がするからちょっと見てみようかな、とか、そういった可能性もあります。
演劇に関心をもってもらうというミッションは、文化芸術の発信拠点としての札幌市民交流プラザの役割にぴったりだと思います。
発信拠点といっても色々あります。劇場が一生懸命に主催事業を行うという方法もあると思いますが、私たちは、すでに文化活動をされている市民の皆さんの活動を紹介することも重要だと考えます。
シェイクスピアを通して「対話」する
石井 弦巻楽団の演技講座の取り組みも非常に重要ですよね。演劇に研修制度を設けて、演劇で人材育成されているという試みは素晴らしいです。
先日、主催事業としてクリエイティブスタジオを会場に「世界演劇史/日本演劇史」のフォーラムを行い、長島確さんと平田オリザさんにお話いただきました。その中で平田オリザさんがおっしゃっていたのは、演劇を教育の中に取り入れるべきだということです。現代に生きる私たちのコミュニケーションにおいて必要な「対話」という能力が、若い人ほど低下していることを指摘されていました。
学校の授業では「対話」を体験することもなければ教えられることもない。ここでいう「対話」とは、仲良しグループの会話や家族の会話、つまりすでに共通言語のある中でのコミュニケーションではなく、意見が相違していたり立場が違ったりする人たちが話し合う、言葉をぶつけ合うことで共通の到達点を見つけていくという能力です。
現代はどこの領域でも(国内政治でも、国際関係でも)この能力は求められていますが、そこが実は教育から取り残されているんじゃないかと。
私は、弦巻楽団の演技講座に参加されている方々を見て、この平田オリザさんの指摘と重なったのです。演技講座に参加された人たちは、演劇を、シェイクスピアを通して「対話」を学んでいく。「対話」できる人たちが世の中に増えていくことによって、きっと社会が、正常で健全なコミュニケーションができるようになっていくのだと思います。
弦巻さんには、ぜひこの取り組みを継続してほしいと思います。
弦巻 ありがとうございます。
演劇の世界を開いていく
石井 作品内容についてお話しいたしますと、出演者の間には観客がわかる形で明らかなレベルの差があり、これが面白いなと思いました。
公演タイトルに「わたしたちの街の」とあるように、プロの俳優だけではなく、そこを目指す若者や別にお仕事をされている方など、幅広く参加されており、経験も技術も様々なメンバーですよね。
そんな中で、「ジュリアス・シーザー」は今回の企画にぴったりな演目でした。シェイクスピアの名作であり、演劇の骨太なところをしっかり見せつつ、なおかつ一般の市民の方々もローマ市民として参加できる。
弦巻さんの、企画に対する意図、この場所で市民の皆さまと一緒に演劇を作るという意志が、まさに現れた作品を選ばれたんだなと感じました。
弦巻 演技講座3学期の発表は、毎年シェイクスピアを選んできました。去年は「ハムレット」で、その前は「コリオレイナス」、「ヘンリー六世」。そのときそのときで、作品のテーマを考えて選定していました。
今回、SCARTS公募企画事業に応募しようと思ったときに、演目は絶対「ジュリアス・シーザー」にしようと決めていました。
いま石井さんがおっしゃったように、言葉はもちろん骨太で、難しい言葉遣いもいっぱいあるんだけれど、描かれている人間の姿や行動原理は、まったく今の現代社会と変わらないんです。いまこれを描くことに、ものすごく大きな意味があると思っていました。
お客さまにもその意図を強く感じ取ってもらえたようです。民衆がどんどん変わっていく様。その姿を、今の札幌、わたしたちの街の話だと捉えてもらえました。
石井 舞台美術に現代美術家の高橋喜代史さんに声をかけられたというのも、非常に重要なことだなと思っています。弦巻さんは、演劇の界隈に閉ざさないというか、芸術表現として開けた形で作品を作っていく、北海道を活動領域としたクリエイターと一緒に作品づくりをする方なんだということもよくわかりました。
完成した舞台美術も素晴らしかったです。色とりどりな吹き出しが作品を彩っていました。「ジュリアス・シーザー」は議論が中心のお芝居です。言葉で戦い、言葉に扇動され…。吹き出しは、そんな言葉の強さやおそろしさを表現していました。
弦巻 高橋さんの舞台美術は、作品の意図を強く表現してくれました。
そもそも高橋さんに舞台美術をお願いしたのは、「ジュリアス・シーザー」が言葉で戦う話だったからです。
まだ全然高橋さんのことを知らないときに、初めて彼の展示を見て、強いシンパシーを感じたんですよね。
これは高橋さんの意図ではないかもしれないですが、内面に響く作品というのもありますが、僕が見た作品は、「その作品が存在する日常にいる私たち」に気づきを与えると言いますか、異化効果を及ぼすというか。
それって僕が演劇に求めるものだったり、自分の演劇でお客さんに感じてほしい変化だったりするのとすごく近しい気がして。
僕は10年くらい前に、教育文化会館と一緒に「札幌ハプニング」というプロジェクトをやっていました。
今でいうフラッシュモブのような取り組みを、もっと馬鹿馬鹿しく表現しようとしていました。マンガや映画でしか見たことのないようなベタな光景を現実世界に落とし込むことで、それを見た人たちが「あ、私たちの街にもこういう可能性があるんだ」とか「私たちの日常はこうやって面白くなるヒントがいっぱいあるんだ」ということを感じてもらいたいという試みでした。
その経験から、演劇の力や面白さがこうやって広まっていったらいいなと思い始めるようになっていきました。作品と向き合うことで日常が変化するような。それが今回の公演の開き方であり、高橋さんに美術をお願いした狙いでした。
演劇の世界で閉じてても演劇人にとってメリットはなく、むしろ開いていくことで演劇の可能性が相乗効果でどんどん大きくなっていくんじゃないかと思います。
もちろん、お客さんが求めるクオリティから劣ることなく、それでいて演劇に取り組んでみたいという人たちが一緒に参加できる、交流できる場所を模索しながら作っていこうとしています。その過程の中で、この『わたしたちの街の「ジュリアス・シーザー」』にたどり着きました。
出演者の中にレベルの開きがあっても、作品として一つの形になっているとおっしゃっていただけたのがすごく嬉しいです。
石井 それはすごく感じましたね。全然違和感なく。その意図もよくわかるように作られていました。
こういった試みは、一つ間違うと学芸会のようになってしまう可能性もありますよね。そこをうまく作っていて、主要なキャストのところでちゃんと聞かせるところは聞かせていました。本番中すすり泣きも聞こえて…
弦巻 すすり泣きありましたね。人間の哀れな部分が見えたんですかね…。
石井 ブルータスが死んでいくところでしたね。
弦巻 セリフがたくさんあるお芝居なので、量を消化するのは経験や技術が必要です。そのため、セリフが多い役は技術や経験のある方が配役され、その分彼らの登場時間は長くなる。セリフ量が少ない、登場時間が短い役というのも当然出てきます。
しかし、アンケートやSNSで、「端役についての考え方が変わった」とか「端役の概念が壊された」という感想を多くいただけました。ほんの一瞬しか登場していない役でも、それはたまたまその役柄の人生の一瞬が切り取られているだけであって、その役はその役で、セリフ量が膨大な役の人生と変わらない濃度の人生を送っているというのが基本的な考え方です。
最後の方にちょっとだけ出てくる役柄に対しても、アンケートで「○○が面白かった」「○○が人間として生き生きして見えた」という意見があって、意図がちゃんと観客に伝わったことは嬉しかったです。
石井 400年前のシェイクスピアが描いた、千何百年も前の時代のジュリアス・シーザーの物語。確固たる名作戯曲として、これまで様々な時代、様々な場所で、様々な人が演出・出演してきました。
しかし、同じ戯曲であっても、その場所、その時代の状況を反映させながら、作品としては常に新しいものが生まれていく。これってすごいことですよね。
昔の、シェイクスピアという偉大な作家の戯曲が、今もなお生き生きと作品として成立する。それを成立させるのは、古典を現代にアジャストしていく演出家の仕事です。
あの作品を観た方の中には、群衆・民衆が簡単に扇動されちゃう姿が今の日本国民に投影され、自分たちは本当に大丈夫なんだろうかという気づきを持って帰られた方も多々いらっしゃったと思います。
SCARTSの空間を生かすも殺すも
石井 私共としても、良い作品を、SCARTSの空間でどこまで制作・公演できるのかという面でも、挑戦できたなと思います。
弦巻 公募企画を最初に採択していただいたときも、正直、本当にやっていいのかな、我々にやらせて大丈夫かなと思いました(笑)
開かれた空間で演劇をやるという僕らのねらいに、ゴーサインを出してくれたことにびっくりしたんです。
お客さんもびっくりしたと思います。たまたま通りかかった方や、チケットを事前に買ってくださった方も、「ここでやるんだ!」と驚かれていました。
翻って言えば、SCARTSは、こういうことをやらせるというか、こういうことをやっていくんだという驚きやインパクトがあったと思います。
SCARTSは、通りかかった人が文化に触れる余地がある場所だと思います。思わぬ出会いがいっぱいできる場所だということをしっかり提示できたんじゃないかと、勝手ながら思っています。
石井 これから札幌市民交流プラザを創造活動のためにどんどん使って欲しいです。文化芸術を幅広く捉え、これまでも、コスプレイベントを採用したり、謎解きイベントを開催したり…。
SCARTSの空間を生かすも殺すも市民の創造性しだい、というメッセージを伝えたかった。
文化芸術との思わぬ出会いは面白いです。コスプレイベントを開催していた時、ちょうど同日に札幌市民交流プラザ hitaruでコンサートも開催していました。コスプレを見に来た人と、コンサートを見に来た人が同じ場所で出くわすのは、カオスですよ。
そういう場所っていままで札幌になかったですし、このカオスこそ、文化芸術の重要なところだと思います。新たな価値を生み、それを経済や観光振興につなげていくことが求められる世の中ですけれど、もっと大事なところは、多様な価値観を認め合い他者を理解することです。
弦巻 コミュニケーションですね。
石井 その通りです。そういった意味でも、今回の演劇公演によって様々な施設上の問題点も見えてきているので、次やるときはどこまでできるだろうかと考えなくてはなりません。
カフェでコーヒーを飲んでその時間をゆったり過ごしている人もいる。図書・情報館で本を読みながらゆっくり過ごしたい方もいる。だけどその真ん中で演劇もやっている。どうしたらみんなが幸せにその空間を共有できるだろうと考えます。
解決の道は、それこそ「対話」なんじゃないかと思います。SCARTSでの演劇公演は、みんながそれぞれに豊かな時間を過ごせるためにはどうしたらよいかを考える良いきっかけにもなりました。
本当に、公募企画事業に応募していただいて、しっかりと公演を実現していただいて、私としては感謝の気持ちでいます。
市民の皆さんにとって、私たちの街に札幌市民交流プラザがあるということが、何らかのプラスになってほしいと願います。市民の誇りの場所に。
弦巻 そうですね。実感として、たくさんの市民の方々に楽しんでいただいたと思います。
今回は公開制作を5日間もやらせていただいて、来てくれた皆さまと一緒に小道具を作りました。小学生の子がお母さんと一緒に来てくれて小道具を一緒に作って、稽古も見て、本番も観に来てくれました。
正直、シェイクスピアは小学生には難しいかなと思っていたんですけれど、話の筋がしっかり伝わるように作れば、小学生の子たちもしっかり観てくれるんだというのが、自分の収穫でもありました。
次は君たちにこの場所を使って欲しい
弦巻 今回は、出演者やお手伝いの人たち含めて42人で公演を行いました。
中学生から50代まで参加しているので、ひとつの模擬社会みたいな感じになって、いろんな世代のいろんな人たちと関わりあって一緒に作品を作らなければならない場に自然となっていきました。
そこで起きる化学反応も十分面白かったんですけれど、公開制作が始まってから強く感じたのは、彼ら自身がどんどん外側に開けていっていることでした。
決してみんながみんな社交的でコミュニケーション上手な人というわけではありません。でも、公開制作に来てくれた人たちにどんどん声をかけている姿がありました。前を通りかかる人に「よかったらどうですか」って声をかけていました。
SCARTSを開けた場所として使うという意識を、少なくともこの42人には受け継げたかなと思うのが、僕の達成したと思えた点です。
打ち上げや最後の締めの席でも彼らに伝えたのは、次は君たちにこの場所を使って欲しい、ということです。SCARTSは多分それを許してくれる場所だから、と。それをすごく伝えたかった。
石井 本当に、とにかく使い倒して欲しいなと思います。私たちはクリエイティブな活動をしている人たちの発表の場をサポートしたり、鑑賞する方々との接点を作っていきたいと思っています。
札幌市民交流プラザという名前には、文化芸術を柱として、それを通じて市民が互いに交流する状況を作っていきたいという思いが込められています。
弦巻 クリエイターやアーティスト、表現活動をしている人たちは、僕を含めわがままでもあると思うので、そういう方たちをまとめるのは大変なことも多いと思うんですけれども、その姿勢で続けていってくださるとありがたいです。
石井 アーティストと対話をし、それを実現するために関係各所と対話をしていく、その連続かなと思っています。これからも、弦巻さんの作品をここで見られたら嬉しいなと思っています。引き続きよろしくお願いします。
弦巻 ありがとうございます。よろしくお願いします!
札幌市民交流プラザ にて