札幌演劇シーズン2019-冬が開幕しました。今シーズンも素敵なラインナップで、どの作品も見逃せません。
この度、シーズンに参加している演出家の方々に集まっていただき、これからの札幌演劇についてを話し合っていただく「演出家対談」を実施しました。
今シーズンは、学校現場などで演劇ワークショップを行っている方々、演劇部の指導や大会の審査員をやっている方々、子どもも楽しめる作品を作っている方々、中高生の演出をされている方々など、演劇を通して子どもと関わる活動をされている演出家が多く参加しています。
そこで、今回の議題を「演劇が持つ教育ツールとしての可能性」とし、演劇と教育との関わり合いについて話していただきました。
アートとしての役割だけではない、教育的視点から見た演劇とはどのようなものなのか。その議論の模様をお届けします。
※日程の都合上、納谷真大(ELEVEN NINES)さんは不参加となりました。ご了承ください。
対談参加演出家
札幌にて人気を博した劇団「P-PROJECT」を主宰。(その全ての作品を作・演出)。その後劇団俳優座に入団。劇団内外の舞台に出演し、独立。99 年、『あなたまでの6人』で読売演劇大賞、優秀俳優賞受賞. 現在、芸能事務所「enchante(アンシャンテ)」に所属。俳優・演出・脚本家として舞台、映像を問わず幅広く活動をする。近年の出演作はミュージカル『1789〜バスティーユの恋人たち』(帝国劇場)札幌での上演作品は『月ノツカイ』 『髪結い橋のロビン・グッドフェロー』など。
MAMは演劇シーズン初参加。井上ひさしの名作、父と娘の二人芝居「父と暮せば」を上演します。原爆投下から3年後の広島に住むある娘の四日間を描いた作品です。
演劇シーズンでMAMの作品を上演したいという思いは以前からあったそうです。「父と暮せば」はTGRでも高い評価を受けた作品で、増澤さん自身もこの作品は再演したかったとおっしゃっていました。
1997年、yhsを結成。以降、ほぼ全作品の脚本・演出を担当。「死刑制度」や「介護」など社会的な事象をモチーフとしながらも「笑い」にこだわりつつ、誰もが楽しめるエンターテイメント作品へと昇華させる作風で評価を得ている。また近年は歌舞伎などの古典作品を大胆にリメイクする作品も多く発表している。
yhsが上演する「白浪っ!」は、歌舞伎を原作にしたお芝居です。「白浪五人男」という盗賊のお話をいくつかミックスして、かつ現代劇、SFチックな要素を盛り込んでいます。平成の世の中だけど江戸幕府が続いているという設定です。携帯も使うし、刀も使う、という世界観…!
初演は、一昨年(2017)にTGR参加作品として上演されました。劇団20周年の作品だったということもあり、yhsが得意とするド派手なエンターテイメントなお話です。TGRで大賞を受賞し、去年(2018)には韓国公演も行いました。さらにブラッシュアップした、新しい「白浪っ!」をご覧いただけると思います。
公演情報 2月2日〜2月9日|yhs 40th PLAY 「白浪っ!」
劇団千年王國代表、劇作家、演出家。劇団旗揚げからほぼ全作品の脚本・演出を担当。 日本演出者協会会員。札幌大谷大学非常勤講師。 近年は市民ミュージカルや子供オペレッタの演出、 NHK・BSプレミアムドラマの脚本など幅広く活動中。 2012年より札幌座のディレクターとして活動を開始し、若手育成公演の演出を手がける。また、自らも役者として出演している。ダンサー・音楽家との共同創作を積極的に行い、演劇も含めた身体表現の可能性を探る。
劇団千年王國は「贋作者」という創作劇です。櫻井幸絵さんが修行として東京に行った際に観た、様々な刺激が原動力となって描かれた作品です。TGRでも大賞を受賞し、これまで多くの再演を行ってきました。
明治日本を舞台とした、日本画をめぐる兄弟の物語。初演は今から17年も前ですが、演劇シーズンホームページでは「伝説の作品」と称され、多くの演劇ファン、関係者から期待の声があがっています。
公演情報 2月6日〜2月11日|劇団千年王國公演 「贋作者」
役者・脚本・演出・ナレーター。北海道教育大学札幌校在学時より、札幌市内での演劇の公演を多数行う。2012年よりトランク機械シアターを旗揚げ。大人と子どもが一緒に楽しめる舞台作品を作り、札幌を中心に全国で公演を行っている。
トランク機械シアターもシーズン初参加。子どもも大人も楽しめる人形劇を上演します。テーマは、「言葉が通じなくても友達になれるのか」。
主人公アルファーは世界中のみんなと友達になることを目標に旅をします。この作品では、言葉がまったく通じない人に出会って友達になります。しかし、その街の政治家は「外人は全員追い出そう」と言い出し…。子どもが見たら当たり前にノーと言えることを、大人になってもノーと言えるだろうか?といった大きなテーマとなっています。
初演はこぐま座という劇場でしたが、今回はシーズン初の札幌文化芸術劇場hitaru クリエイティブスタジオでの上演です。大きな劇場で新しいアルファーがみなさんをお待ちしております。
公演情報 2月6日〜2月12日|トランク機械シアター公演 「ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜」
2006年より演劇で音楽をつくりたくてintroを開始。奇抜なポップ感覚と独特のリズム感覚でファンタジーとリアルの同居する舞台作品を発表し続ける。家族の普遍的な会話劇の劇作傾向と、コンテンポラリー演劇と評されるアグレッシブな身体表現による演出傾向が持ち味。2013年佐藤佐吉賞優秀演出賞、2015年佐藤佐吉賞優秀脚本賞受賞。2019年より大阪へ移住。札幌と大阪、2つの土地を拠点に活動を開始。
「親の顔が見たい」は完全ダブルキャスト制で、大人チームと中高生チームの2パターンが上演されます。イトウワカナさんは中高生チームの演出を担当しています。大人チームの演出は、今回残念ながら対談に参加できなかった納谷真大(ELEVEN NINES)さんです。
とある私立中学校で女子生徒がいじめを苦に教室で自殺を図る。その仲良しグループだと言われていた5人の女の子たちの親が学校に呼ばれて、その親たちがいじめ、自殺について向き合っていくという作品です。
メッセージ性の強い本作品を、中高生のフレッシュな演技と大人の重厚感のある演技と、ぜひ両方お楽しみください。
公演情報 2月13日〜2月24日|コンカリーニョプロデュース公演 「親の顔が見たい」
コミュニケーションと演劇
ー 近年、「子どものコミュニケーション能力」の育成が重視されるようになってきています。文部科学省は子どものコミュニケーション能力の低下を危惧して、育成の必要性を感じ、対策が打ち出されています。そんな中、現在、演劇などの芸術活動が「コミュニケーション能力」の育成に役立つとされて注目を浴びており、ワークショップなどで学校教育に演劇が取り組まれる事例も見られるようになりました。そこで、いまの子どもに必要な「コミュニケーション能力」とは、一体どのようなものなのでしょうか。
南参さん(以下、南参):コミュニケーションのツールは変わったけど、今も昔もコミュニケーション能力の本質は変わらないですよね。日本人は「表現力」が不足していると言われるけど、むしろそれよりも「受容する力」の方が大切なんじゃないかと思います。色んな価値観を認めるというか、そのための対話能力みたいなものは必要だと思う。
立川佳吾さん(以下、立川):僕は、子どもたちがいつごろから元気じゃなくなるのかが気になりますね。保育園とか幼稚園、小学校までくらいだと、よほど厳しい環境じゃない限り、楽しく騒いでいるじゃないですか。こっちから何か発信したら子どもたちからも反応が返ってきて、 双方向のコミュニケーションが生まれる。
でも中学校くらいになると、急に静かになり始めるんです。お芝居も真面目に観なきゃいけない、というような。こっちから応答を求めても反応が少なくなる。先生が「大きな声で挨拶してください」と言ったとしても、だるそうにしていたり。そういうことがあるような気がしていて。
なんとなく中学に入ると、周りをすごく気にするようになることが増えるんじゃないかな。こうしたら怒られるとか、こうしちゃいけないんだとか。そのような時期が長いと、どんどん自分から発信ができなくなっていく。発言するということが、手を上げて何かを言うことが、できなくなっていくのかなぁ、と。
増澤ノゾムさん(以下、増澤):「コミュニケーション能力とはこういうものだ」って総じていうことはできないですけど、確かに、中学生の時が一番消極的だなっていう印象は受けますね。集団行動をとるようになって、「みんなと同じことをしなきゃ」って思う子がかなり多くなっていくような気がする。社会行動の入り口になるのが中学生なんでしょうね。そういうことがコミュニケーションに関わってくるんじゃないかな。
櫻井幸絵さん(以下、櫻井):確かに、中学生くらいから恥ずかしくなりますね。日本は「〜しちゃだめ」っていう教育が多い。いかに問題が起きないか、っていう方に教育が傾きすぎていると思う。
コミュニケーションツールの変化は大きいんじゃないでしょうか。昔はテレビをみんなで見るとか一つのものを共有していたのが、スマホになると今ここにいる人じゃなくて、遠くにいる人とのコミュニケーションに対応するようになった。目の前にいる人と話して、感じて、理解して、思いを伝えるという単純なことができなくなっているのではないでしょうか。
でも、コミュニケーションが苦手だった人は昔からいっぱいいたと思いますよ。特別現代の子どもたちがコミュニケーションできないんですかね?
増澤:今はそうなりやすいツールがいっぱいあるのかもしれませんね。目の前の人と強制的に関わらないといけない環境が昔の方があったから、自然にコミュニケーションのとり方を学んでいけたんだろうけれど。今は人と関わりを持つことを避けても生きられる世の中です。そもそもそのような生き方を善悪で判断してよいのかという話も出てきます。
櫻井:南参くんとかはわりとデジタル世代全盛期だと思います。でもコミュニケーション能力高いほうじゃない?
南参:いや全然ですよ(笑)
(一同、笑い)
南参:いまは普通にコミュニケーションとれると思うけど、俺は演劇部に入って表現ができるようになったタイプだと思います。
櫻井:めっちゃいい話じゃん!(笑)
南参:今は演出をすることが多いですが、最初は役者がやりたかったんです。部活の稽古の中で、先輩に「お前面白いね、うまいね」って言ってもらえたことで自己肯定感を養ったんだと思います。部活ではすごく元気!でもクラスでは地味な感じでしたね。
櫻井:(イトウに)いま中高生の演出をしているけれど、大人と中高生を比べて、演出する時どういう違いがある?
イトウワカナさん(以下、イトウ):最も大きく違うのは使う言葉の種類とか数ということですね。あと、彼らは自分のことをまだよく知らないです。
中高生とやっている以上は、どうしても私と前田透(演出助手)は教育に片足を突っ込んでいる状態になります。だからこそ、彼らには「絶対に先生と呼ぶな」と伝えています。対”ひと”として私たちは関わり合う。稽古場は、教育ではなく演劇の現場だと思っているから。私たちが教師となって教えるということではないからね、というスタンスです。
中学生はすごい面白いですよ。まだ全然自信もないし。ツンケンしてたり、いわゆる中二病が始まっている男の子もいたりして。色んな子がいるけれど、共通しているのは褒めればみんなものすごく喜ぶ。そして、彼らは褒められ慣れていない。「声がいいじゃん」とか「この話し方いいじゃん」ってとにかく褒めると、自信がついていく。「自分のダメなところをなおそう」という思いから「自分これでいいんだな!」って思いに変わると、できることもちょっとずつ増えていくし。
高校生くらいになると、少しずつ自分のことがわかるようになってきています。だからこそ自信がなくて必死に隠している部分を「すてきだよ好きだよ」っていうようにしています。
櫻井:私も中学生とワークショップをした時、中学生の一人が「こんなに自分で考えていいんだ!」って言っていたことが印象に残っています。学校では、「◯◯について考えなさい」は言われたことはあるけれど、なんでも自由に考えなさいって言われたことは初めてだから、とっても楽しかったです、って言われてびっくりしました。
小さい頃は絵も描くし、言いたいこともいうし、歌も歌うし、ダンスもするし。でも思春期を迎えてちょっと恥ずかしくなってきた頃に、中学校で「これをしなさい」って言われる。これはやってはいけません、これをしなさい!って。
ワカナみたいに、子ども達が表現したことを褒めた時に彼らの可能性はわーっと開いていく!中二教育!(笑)
演劇によって、「正解はない」という価値観を知ってもらえるんだと思います。正解を見つけなくちゃいけない世界で、演劇と出会って認められる経験をすることで、救われる子がいっぱいいるのかもしれません。
増澤:そもそも日本文化の根底には、良いものを作るためにダメなものを見つけるという作業があるのかもしれません。「ダメ出し」って言葉あるじゃないですか。ダメなところを探すのが良いものを作る行為になるっていう考え。それが社会生活にも根付いているのかもしれません。
以前海外の演出家の舞台に立てる時がありました。彼ら(海外の演出家)は役者のことを絶対に否定しないんですよね。君がやりたいことはすごく面白いけれど、この時にこの役が考えていることはこうであって…みたいなことを言われる。そうすると、自分も気持ちよくなって演劇に取り組めるんですよね。この体験ってすごく大事で。もちろん、変に気持ちよくさせると自信過剰になってしまったりすることもあると思うんですけれど。
ー では、コミュニケーション能力の他に演劇が伸ばす子どもの能力はなんだと思いますか?
南参:演劇は、個々の能力を伸ばすというよりは、「認める価値観」を覚えてもらうための教材になったり、「こういう考え方もあるんだよ」っていうのを提示する手段になったりする。
でも、演劇をやったからどうなるっていうより、演劇をやって、終わってみたら、なんだか少し周りの人と仲良くなってたとか、人のことを認められるようになったとか、二次的に何かが残るっていうものなんだと思います。
イトウ:演劇が取り入れられる以前はスポーツがコミュニケーション教育の役割だったということですかね?
南参:スポーツって、指導者がいて、みんながそれに従わなくちゃいけなくて、そこからだんだん保守的になって、過去にやったことは、理不尽でもやっていかなきゃいけないっていう風になりがちな印象があります。
今は、多様な価値観を認めたり、それぞれの意見を聞くことが重要視されていますよね。
増澤:教育現場においては、演劇をやるっていうことはスポーツとはあまり変わらないような気がします。それをやることを経て、団結力が高まったり、人のことを認めたりできるようになる。
でも、違う点として、スポーツはやっぱり身体能力が高い方がいい思いをする。ここで演劇は、それと違った切り口になりますよね。スポーツはできないけど、演劇ならできる、とか。人にはみんなそれぞれの特性や得意なことがあるから、その一つとして演劇があればいいんじゃないかと思います。
そう考えると、スポーツと比較しても演劇はまだまだ教育現場に浸透していない。
南参:先生たちも、たぶん学習発表会とかで演劇をやる意味があまりよくわかってないんだろうね。
増澤:俺、先生たちに演劇教育した方がいいと思うもん。(笑)
櫻井:演劇は美術や音楽と同じくらい専門知識がいるから、演劇専門の先生を学校におかないとね。
増澤:結局、先生たちに演劇教育しないと、教育現場は変わっていかないと思う。
櫻井:演劇って何か役割があるじゃない。演劇を作るのは役者だけじゃない。しゃべるのが得意でない人でもできることがたくさんある。音響とか照明とか衣装とか。誰でも何か役立つっていう。
イトウ:それだといいんですよ。でも今言われている「コミュニケーション能力に演劇が」とかが俳優的な技術を教えることと捉えられているのだとしたら、それは全然違う。もっと広義な意味の演劇でしょ?って。
セリフが言えることと日常会話ができることは全く違うことだと思うんです。普段喋れていてもセリフが言えないってことは大いにある。私は、コミュニケーション能力よりも、想像力が大事だと思います。ひとつのセリフに対して、人や物に対してどこまで考えられるか、目の前で起こっていることに対して何を想像するか、といった想像力の方が重要だと思っています。
立川:何かをモノづくりをするってことは、目標に向かって頑張りましょうって集まるときですよね。例えばコミュニケーションに慣れてない人が急に近づいて距離を縮めすぎちゃったりしたとき、その相手の顔をちゃんと見ていないとその人が嫌がっているかどうかわかんないじゃないですか。逆に近づかれた人は嫌だったらちゃんと言わないと相手に伝わらない。そういうことを学べるんじゃないかな。
集団を作ることで得られる学びは、演劇を通して得られるんじゃないでしょうか。社会に出た時に、その距離の詰め方は怖がられるんだっていう体験ができる。学校とかだったら嫌な人はただ無視すればいいだけかもしれない。でも演劇は作品を作るっていう目標があるから、無視ができない。その集団の中で何かをする時、人とどう関わるべきなのかが学べると思う。
イトウ:それは俳優が演技の中で接するときですか?
立川:いやそれだけではなくて、日常の、演技外での会話を通して。一つの集団の中に入ることで、どれだけ嫌いでも一緒に作り上げていくみたいな。
何か目的のある集団の中にいたら、ぶつかることってあるじゃないですか。喧嘩とかになる。でも学校ではあんまりぶつかれないんだと思います。意見の合わない人がいたら、無視とか、ハブるとか、いじめになっちゃう。だからなにか衝突があったときに、大人が関わって「どうして衝突したんだろうね?」って話し合えることは演劇の特徴なのかな。
増澤:それは結局、先生がバランス取れるかに関わってきますよね。
イトウ:私はいま、稽古で13人を2人でみているけれど結構限界ですよ…。
立川:これ以上増えたらきつい?
イトウ:もうバテる。学校の先生、40人を1人でみるっておかしいと思うんですよ。
南参:演劇教育やワークショップで得られる効果は、あくまでも演劇の副産物的なところがあるのかもしれませんね。演劇の持つ要素のひとつを使っているというだけで。
演劇は、やっぱり本来は誰かに観せるものだとは思うんですよ。だけど、演劇を作る過程でコミュニケーションの練習もできる。それだけが目的になると、もはやお客さんに観せる必要はなくなってきて。
演劇でどういう能力を伸ばせるか。たくさんありますよね、例えば大きな声を出すとか、滑舌をよくするとか。その中のひとつに、コミュニケーション能力があるんじゃないでしょうか。
イトウ:全ての俳優、全ての演出家と、全ての演劇に関わる人たちがみんなコミュニケーション能力を教えることができるかっていうと絶対そうじゃない。みんなはできない。副産物だから、それに特化したやり方の人もいるし。
コミュニケーションなんて糞食らえなんて人もいるじゃないですか!
(一同、笑い)
イトウ:コミュニケーションができなくても、それはそれで演劇だし。演劇=コミュニケーションってわけじゃない。
でも社会がやっと演劇に対して扉を開いてくれたところが、エンターテイメントとしてではなくてコミュニケーション能力を高めるツールなんですよ、きっと。正直、そこにホイホイ乗っかって入っていくことはちょっと怖いです。もうちょっとお互いに関わり方を確認していきたいと思う。
櫻井:本来なら、演劇は芸術なんだから、何の役にも立たないけど存在してオッケーみたいな扱いしてほしいですよね。