寺山修司の言葉を風蝕スタイルで届けたい|札幌演劇シーズン2019-夏

「寺山修司の”言葉”の虜になってしまった。おこがましいですけれど、その言葉たちを残していきたい、自分の身体で表現したいって思うようになりました。」

そう語るのは、札幌演劇シーズン2019-夏のレパートリー作品「青森県のせむし男」を上演する劇団風蝕異人街の三木美智代さん。

「青森県のせむし男」は、2015-夏での上演で初日を迎える前に前売完売という演劇シーズン史上初の快挙を成し遂げた作品です。母と息子の因縁を描く寺山修司の名作を、風蝕異人街のオリジナル演出で上演し、観る者を虜にしました。

三木さんは、主人公マツの息子とおぼしき・せむし男を演じます。寺山作品の魅力と、風蝕異人街のチャレンジについてお話をうかがいました。

三木美智代 Miki, Michiyo

劇団 風蝕異人街 代表/女優

早稲田大学卒業。青年座研究所卒業後、東京での演劇活動を経て劇団 風蝕異人街(札幌市)設立に参加。2005年より演出家・鈴木忠志氏による俳優育成プロジェクトに参加し、スズキメソッドを受講。鈴木忠志(SCOT)、宮城聰(静岡舞台芸術センター)、中島諒人(鳥の劇場)、カステルッチ作品出演など劇団外でも活動。2012、13年と韓国に招聘され無言劇に出演。能藤玲子創作舞踊研究所団所属/振付作品も多数。高校・大学生を中心とした演劇WS開催。

実はアングラが苦手でした

寺山と言葉の出会いを語る三木さん

ー 三木さんは、劇団 風蝕異人街でこれまで数多くの寺山作品に出演してきましたが、最初に寺山作品と出会った経緯はどのようなものだったのでしょうか。

私は、大学演劇や自主映画製作、劇団青年座の養成所などで学びましたが、岸田理生さんの「岸田事務所+楽天団」という劇団主催のワークショップに通ったことがきっかけで、不思議と寺山作品に出演するようになっていきました。岸田さんは寺山の片腕で、『身毒丸』の執筆にも関わっている方です。

実は、最初はアングラとかよくわからなかったですね。地下に入って行くと、そこには白塗りの人たちがいるとか、無理だなって…(笑)

でも、どういうわけか、そこに呼び寄せられるようにして、寺山作品と関わりを持ち続けるようになったんですよね。25歳くらいまで東京で演劇活動を続け、段々と寺山作品が好きになっていきました。

実家・北海道に帰って、こしば(劇団風蝕異人街 主宰)と知り合うと、お互い寺山好きなら劇団作ろうかって意気投合。そうして風蝕異人街は誕生しました。

だから、実は根からのアングラ少女だったわけじゃないんですよ。

 

ー 最初はわからなかったアングラが、面白い!に変わったきっかけはなんだったのでしょうか。

やっぱり、寺山修司の”言葉”です。東京の劇団で上演した『邪宗門』という作品に参加したことでした。

その時は、お手伝いみたいな感じで、黒子として出演していたんです。黒子たちが登場人物を操って、立場が逆転するようなお芝居なんですけれど。

寺山修司の”言葉”が、私にフィットする感覚があったんです。

じゃあ寺山の劇団「演劇実験室 天井桟敷」に入るかって聞かれたら、私はNOと言います。その表現方法自体はあまり好みではないんです。

でも、寺山修司の”言葉”の虜になってしまった。おこがましいですけれど、その言葉たちを残していきたい、自分の身体で表現したいって思うようになりました。

寺山修司は、みんなわかってはいるけれど大きな声で言えないようなことを逆説的に言う人だなって思います。それが、私の表現したいことにすごく近いものを感じました。

私は、寺山作品では男役が多いんですけれど、それは寺山修司本人の役として捉えています。彼が言いたいことを、私が男主人公として言う。

でも、寺山修司は嘘つきだったってよく言われているので、そのセリフも真意だったかどうかはわからないですけれどね(笑)




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寺山の言葉を、どうやって伝えるか

ー 風蝕異人街と他の寺山作品を上演する劇団との、表現方法の違いとは何でしょうか。

風蝕異人街は、スズキメソッドというトレーニングをベースとした身体表現にこだわっています。

スズキメソッドとは、富山県利賀村を中心に活動を行う演出家・鈴木忠志氏が作ったトレーニング方法です。鈴木さんは、医師や教師などが持つ”国家資格”の俳優版としてこれを作り、スズキメソッドができる役者しか使わない、としています。

一方、もともと天井桟敷は、そのような俳優トレーニングはせず、できるだけ素人というかそのままの素材を使う劇団でした。そのやり方が、寺山の残党たちには今でも引き継がれています。

風蝕異人街は2004年、利賀村で開催された演出家コンクールにてイヨネスコ作品で優秀演出家賞をいただきました。私はそのことをきっかけに、何年間か夏になると利賀村に通い、スズキメソッドのトレーニングを受けました。

私たちの集団は、トレーニング重視ではない寺山の言葉を、スズキメソッドという身体トレーニングに基づく方法論で表現しているのが特徴です。身体を使って寺山修司の言葉を表現したいという思いが、2004年のコンクールの後から強くなったんです。

風蝕異人街はそれ以降、積極的に海外戯曲にも挑戦していますが、私は、寺山修司とギリシア悲劇は通じるものがあると感じることがあります。せむし男と、オイディプスには似た要素が多い。寺山修司は他作品のイメージを盗む人なので、彼のベースには海外古典があるんじゃないかと思います。

寺山は、お化け屋敷や見世物小屋のような、ナマっぽさを売りにしていたところもあるので、寺山愛好家の方々からすれば、うちは異端かもしれません。

でも私個人としては、寺山修司がつくったものをそのまま再現したいわけじゃない。寺山の言葉を、どうやって伝えるかに関心があります。そのための方法論の一つにスズキメソッドがあり、身体表現を大切にしたいと思っています。

 

ー シアターZOOで上演された2015版と、今回のかでる版ではどのような違いがありますか。

会場の大きさもだいぶ違いますが、演出の軸や脚本は全く変えていません。ただ、出演者が増え、ダンスを大きく取り入れています。

実は、風蝕異人街のダンス的表現は、本来の寺山の脚本には書かれていません。風蝕異人街オリジナルな要素が大きいです。

通常の会話劇ではなく、常に身体表現を意識してセリフを言うという試みが、次第にダンス的な表現に変わっていきました。『邪宗門』を上演した時に、歌に合わせ派手な舞踊を作ったり。

そうした作品を作っていく中で、ダンサーやミュージシャンとの関わりも生まれました。今では、風蝕異人街ダンス部というのもできています。

寺山の作品は、メインの物語よりも、それを彩るフチをどう作っていくかが面白い。天井桟敷の後継劇団「演劇実験室◎万有引力」もフチが面白いんです。

寺山は、現存の芝居では表現しきれないところを表現しようとする。誰かの影響を受けて、それをなぞっていくのではなく、また確立したメソッドがあるわけでもなく、ゼロから新しいものを作ろうとするんです。

だからこそ、寺山の言葉はそのままでも、風蝕異人街のような表現方法が成立するんだと思います。

ZOOでやったときの陰湿な表現とは、また違ったものが見られるかもしれません。客席数も増え、より多くのお客様に見ていただくことが期待されるので、オープンな寺山修司といいますか…。

「かでるという劇場 × 風蝕異人街の表現 × 寺山の言葉」で何が生まれるか、楽しみにしていただければと思います。

 

ー チラシを見て気になったのですが、役者はなぜ白塗りをしているのですか。

白塗りは、日常の年齢や性別を消し去る効果を持っています。日本の伝統芸能・歌舞伎の役者が白塗りをしているのと同じです。

「青森県のせむし男」に限らず、寺山作品はほとんど白塗りで上演しています。役者個人の個を無くして、自分というものを消して非日常を表現します。

 

ー セーラー服、赤い襦袢、黒い留袖、白足袋などの和風な衣装は寺山戯曲の指示ですか。

これは風蝕異人街オリジナルのこだわりです。実は、ギリシア悲劇も白足袋で上演しました。

日本的(ジャポニズム)なものを強調したり、原色を使うことで舞台の印象を際立たせるという狙いがあります。

 

真実と愛をえぐり出すために

ー 寺山修司の作品を、札幌演劇シーズンのレパートリーとして上演することについて、どのように感じていますか。

2015-夏の参加は、公演規模的にも劇団にとって大きなチャレンジでした。苦労することも多くありましたが、初めて寺山の言葉に触れた若い人たちにも興味を持ってもらえて、嬉しかったです。

風蝕異人街は、その作風やビジュアルから、なかなか初めての観劇がしづらい劇団だということは承知しておりますので、シーズンで上演することによって、少しでも寺山の言葉と私たちの表現の周知が上がったのは感謝です。

ただ、段々その恩恵が当たり前になってしまうところもあるな、と感じています。会場や公演規模の大小に関わらず、常に全力で作っていくべきなのに、一度大きいステージを知ってしまうと、それ自体に価値をおいてしまう。

「作品を創る」という演劇の本質よりも、大きい会場で大勢に観てもらうことを優先してしまいそうになる思いが、無自覚的にも出てきてしまいます。

だから、どんなに少ないお客様の前でも全力でもの創りに励んだり、役者のトレーニングを欠かさなかったりと、さまざまな取り組みを意図的に行うようにしています。

そこは、劇団としても、私個人としても、忘れてはいけないことだと思っています。

 

ー 最後に、この記事を読んでいる方にメッセージをお願いします。

これまで観たことのないような作風かもしれませんが、どうぞお気軽に観にきていただければ嬉しいです。

寺山演劇の根底には、既成の価値観(日常の権力、貧富の差、美しさや醜悪さなど)を否定し、壊すところから始まります。従来から常識と思われているものを壊し、新しい、何ものにもとらわれない芸術を創りあげる精神があるのです。

その根底にある寺山の言葉には、人間の奥底の真実と愛をえぐり出す力があるのです。そして、どんな人間でも想像力さえあれば、芸術を創ることが出来ることを教えています。

特に、どんなものでも、どんな人でも受け入れる寺山の世界観においては、現代の「いじめ」や「差別」がなくなります。そこには表面的、うわべだけの人間ではなく、醜いもの、貧しいもの、かたわのものなども平等に愛する、本物の人間愛があるのです。


参考
劇団 風蝕異人街公式サイト


参考
札幌演劇シーズン公式サイト

札幌演劇シーズン レパートリー作品とは
札幌演劇シーズンでは、これまで上演した作品の中で、特に評価が高かったものをレパートリー作品として、再度上演する機会を設けています。レパートリー作品とはつまり、名作中の名作!この夏の風蝕異人街「青森県のせむし男」にぜひご注目ください。

風蝕異人街「青森県のせむし男」公演概要

タイトル 「青森県のせむし男」
会 場 北海道立道民活動センターかでる2・7(札幌市中央区北2条西7丁目)
日 時 2019年
8月10日(土)18:00
8月11日(日)14:00
8月12日(月・祝)14:00
8月13日(火)19:30
8月14日(水)19:30
8月15日(木)19:30
8月16日(金)19:30
8月17日(土)14:00
概 要 この作品は母の息子殺しの因果を描き、一方で嬰児殺しから出発した母子物語である。
その母を恋う青年の思慕は、母親のお墓に見立てられた湾曲した背中のコブに表象されている。その「せむし男」の母親と思われるマツは強姦され子供を孕み、その憎しみから「生まれてくる赤ちゃんの背中にあたしの肉のお墓を立ててください」と仏様にお祈りする。また一方、せむし男は生みの親を恋い慕い探し求める物語でもある。これは誰にでもわかるエンタメ的寺山作品である。

『青森県のせむし男』において、寺山修司は東北の土着性を描くため、思想としての故郷を脱出し、その遺棄を図って還らざる決意を自ら課した。この作品で描かれた寺山の貪欲で清冽な触手とその感覚は、彼の思想と共に寺山の言葉を練磨しているのだ。そしてこの作品は、現代のギリシャ悲劇のごとくに「子殺しのカタストロフィ」で一致している。父は常に死者であり哀れな存在であり、時として軽蔑と揶揄の対象であった。だからこの物語で母と息子の関係は、結語として今日的な子殺し的惨劇が暗示されているのである。だが、せむし男松吉はまぎれもない不具者であり、先天的に罰せられた一人の息子の象徴としてその笑みによって自分の母親を罰するのである。劇団風蝕異人街主宰・劇作家・演出家 こしばきこう

寺山修司
構成・演出 こしばきこう
チケット 一般 3,000円

学生 1,500円

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Web 公式サイト
お問い合わせ 劇団 風蝕異人街
TEL: 090-8272-4299
Eメール:semushiotoko2019@gmail.com