室蘭で頭角を現すも、まさかのタイミングで劇団fireworksへ入団。高校演劇と北海学園大学演劇研究会の2つにルーツを持ち、幾度のピンチも実力で乗り越えてきた木村歩未。
「やりたい芝居がある」と自分を出演させろとプロデューサーへ詰め寄り、すべてを楽しみながら乗り切る彼女の本性に、3万5000字を超えるロングインタビューでせまった。
(聞き手=信山E紘希)
木村歩未 Kimura Ayumi
1992年1月生まれのO型。北海道室蘭市出身。
2010年、大学入学と同時に北海学園大学演劇研究会に入る。在学中から劇団fireworksの公演に数回出演、卒業後1年半のフリー期間をはさみ2015年秋に入団。「自分にも周囲にもお客さまにも真摯に、楽しい趣味として、健やかに演劇を続ける」のが生涯の目標。
生まれてから、中学校まで
—— 今日は来てくれてどうもありがとう。早速インタビューを始めていくよ。まず最初に、 君のことを聞いていく。まあ最後まで君のことを聞いて行くんだけど。20歳より前のことは覚えてないらしいじゃないか。
そうなんだよなあ、あんまり(笑)
—— まず生まれた時から。
1992年1月16日の、室蘭市生まれ。
—— 病院の名前は憶えている?
室蘭市立病院…かなあ…。
—— そこで生を受けまして、木村家の第一子?
はい、っていうか、一人っ子で。 名前は「未来に向かってちゃんと歩いて行けるように」っていう意味らしいです。
—— 誰がつけた名前?ご両親?
父親が。もうお父さんがとにかく女の子が欲しかったらしくて、おそらく女の子じゃないか、ってなってめちゃくちゃテンションが上がってお父さんが頑張ったらしい。
—— じゃあ生まれてからしばらくたってからのことを聞いていこう。保育園にいたのかな?それとも幼稚園?
幼稚園に行ってました。当時まだ母親が専業主婦だったので。
—— 幼稚園は早生まれだけど3歳から行ってたの?早生まれの子は年中さんからいくこともあるみたいだけど。
たしか年少さんから通ってたと思う。さくら組みたいな…花の名前だった気がする。
—— 当時はどんな子供だったのかな?当時から物怖じしないタイプだったか。
あんまり記憶なくて、どうだったかな。
—— お遊戯会とかで前に出てその時楽しかったとか……まあそういうエピソードじゃなくても。男の子とも女の子とも遊ぶ感じだったの?
うん、それはそうだったと思う。
男の子なあ……自分で言うのもアレなんですけど、当時なぜかすごい私のことを気に入ってくれてる男の子がいて、二人。モテ期を4歳ぐらいで一回使っちゃったなあ。
—— そのときはどちらの男の子をとったの?
結局その二人じゃなくて、もっと違う男の子が好きだったような記憶がありますね(笑)
—— 幼稚園の時まだ習い事とかもしてなかったの?
3歳から12歳までバレエをやってました。あるとき母親に連れられて、バレエを観に行って、帰りに「あれがやりたい」ってお母さんに言ったらしいんです。覚えてないんですけど。
ほかの幼稚園の同い年の子も通っていたバレエ教室に通いはじめて、それは最初は楽しかったんですけど、先生がめちゃくちゃ怖くて。まあまあそういう業界だし、学校とか習い事とかにかかわらず、まだそういう(怖い)先生がたくさんいる時代だったのもあるし。
でもとにかく先生がめちゃくちゃ怖くて、結局やだなあって思いながらずるずる続けてた感じですね。
—— 辞めたいとは思わなかった?
やめたいとは思……ってたけど、これ大人になった今にして思うとなんで?って感じなんですけど、「『やめたい』って言ったらやめられる」とも思ってなくて、漠然と。選択肢に無くて。なんか真面目だったんですよ、変に。
もしかしたら教室に通っていたほかの誰かが途中で「やめたい」って言って辞めてたら気づいていたのかもしれないんですけど。やめたいって思ってはいたけど言い出せなくて、お母さんすらやめたいと思ってることも知らないまま、小6まで続けていました。あ、でももしかしたらお母さんにだけには伝えていたのかもしれない……もうちょっと頑張れみたいに言われたのかなあ、どうだったっけ。
その教室では、習い事として通ってるのはだいたい小学生までで、それ以降はプロになりたい人が通う、みたいなところだったから、小学校卒業の時にほかのみんなと一緒に辞めて。中学校に入ったら部活に入りました。
—— バレエ教室ではお友達はいたの?
いなかったなあ。当時すごい太ってたのもあって私が一番下手だったし、今思うとあんまり周り、同年代の子たちにに好かれてなかった。そんなに気にしてなかった、というか気づいてなかったけど。まあ楽しくはなかったな(笑)
—— あんまり楽しめていなかったバレエ教室は週何回?
幼稚園のときはずっと週に1回、小学校になったら週3とかかなあ。
—— 放課後遊びたい時期に週3回入ってると相当大変かもね。
そうなんですよ。一番偉い先生も相当怖かったんだけど、一緒に教えていた別の若い先生がめちゃくちゃ怖くて、本当にすぐ怒鳴る。私には三倍増しに怒鳴る。指導とかじゃなくて本当に私のことが嫌いだったんだろうな、てくらいすごい厳しく当たられて、その厳しい先生が水曜日とかだったからそれが本当に嫌だった。水曜日は毎週憂鬱だった。
でも、演劇ではないけど、「舞台に立って人前で物を見せる」ってことを経験できたこと自体は、人生にとってすごくいい場所ではあったなっていう気はしてます。
もしかしたらバレエの経験が、舞台のでの立ち方とかでは今も生かされてるかも、最低限。逆にやっててその程度かいって言われるとあれだけど……
—— バレエだと、姿勢だとかそういうところではかなり役立てられるような印象ですね。舞台で立ち続けながら綺麗にいられるのは幼少期から9年くらいのバレエの経験からかも。 少し戻って小学校入学の辺りからちょっと聞きたいな。小学校は?
家から近くの、公立の小学校に。
—— 私立にお受験みたいなことは考えられてなかったのかな?
そもそも私立の小学校が無くて、家の近くには。あったのかもしれないけど、まあ今はあるのかなあ……ないか……少なくとも当時、25年前はなかった気がするなあ。
—— 小学校入学すると、さっき話した幼稚園のときに好かれていた男の子ふたりとは別れてしまったの?それとも同じ小学校に入学したのかしら。
いや、別れちゃって。というかそのうちの一人の子は幼稚園の途中で転園してしまってて。もう一人の子とも同じ小学校にはならなかったはず。
—— 歩未ちゃんが好きだった男の子は?
もう覚えていないけど、たしか違った(学校だった)気がする。
—— バレエ教室は楽しくなかったとのことだけど、小学校自体は楽しかったの?
まあそれなりに。2年生までもともと産まれた所の家に住んでたんですけど、2年生のときに市内で引っ越して、別の小学校に転校して。
まあまあいわゆる、クラスで上の方のカースト、みたいなことではなかったけど。どっちかって言うと、今で言う陰キャみたいなグループにはいたんですけど、あんまり当時その自覚がなくて。バレエ教室での友人の話の時に似たようなことを言ったんですけど。
あんまり自分が周りと比べてどうこうみたいな自覚……視点があんまりなくて。今は全然、周りへの劣等感で悩んだりとかすごいあるから、今思うと信じられないんですけど。ある意味すごい自由に生きてて、それはそれで幸せな生き方をしてたんだなと思います。
—— 同じ女子グループとか、いつめんみたいなのもあったの?
毎日一緒に登下校しているグループとかありましたね。それは普通に楽しかったなあ。
—— バレエ以外は放課後はどう過ごしていたの?
んー……友達の家に行ったりとか、児童館に行ったりとか。
—— Nintendo64が出たころでしょ?
あーそうだねえ(笑)。64がでたころだった。やってたやってた。
—— 64持っているやつの家に集まるんだよね。
うちは64がある家だったから、友達コントローラー持ってうちにも来てたな。
—— スマブラですか?
スマブラやりましたねえ。
—— だいたい一番いけてるやつリンク使うよね?
(笑)。たしか2歳くらい年下の女の子の、すごい明るい友達がめちゃくちゃ強くて、たしかにその子はリンク使っていた気がする。
—— リンク使ってハイラルでやりたがるんだよね。
すぐ竜巻がくるところね (笑)。
—— 話を戻して。学校の学習発表会みたいなので、演劇に触れたりはしていた?
あー、言われて思い出した。初めて演劇をやったのって、5年生の学習発表会で。それがすごい楽しかったなっていう記憶がある。演劇をやって楽しかった、ていう一番最初の経験。勇者が悪魔軍を倒す!みたいな話で、悪魔軍の幹部みたいな役だった。
—— 逆に4年生まではやってなかったの?
そう。楽器演奏とか、歌とかだったかなあ。
—— はじめて演劇をやって、悪役をやったのが楽しかったのね。セリフを与えられて。小学5年生って結構遅咲きかもしれないですねえ。バレエの発表会の経験はあるんだろうけど、演劇としては10歳くらいがはじめてということなんだね。
ですねえ。
—— お友達はどんな子だったの?一番仲のいいお友達は何やってる子だったの?
仲の良い友達は……私は子供のころからずっとオタクで、漫画とかゲームが好きなんですけど、一番仲のいい子もおんなじ感じで漫画とか好きな子で。
——じゃあインドアに楽しんでいた?
そう。あんまり外にバーッて遊びに行くっていうよりかは、お互いの家に遊びに行って、家の中で遊んでいた感じだったかな。
—— その頃のお友達とは、今は繋がってたりとかはしないですか?
全然しないな。今何してるんだろ。
—— 逆に今のお友達って、みんな札幌で演劇始めてからの関係なのか。
九割九部そうですね。
—— 逆に0割一部は誰?
それは高校のころの友達ですね。小中学生の頃の友達とは、もう全然。
—— じゃあ札幌に来てからのお友達がほとんどなんですね。さて、バレエのレッスンを受けたり遊んだりしつつ小学生として過ごしてきましたが、卒業してそのまま、まあみんなだいたい同じ中学校で、中学校では部活とかは何を?
中学校は吹奏楽部です。
—— 選んだきっかけは?
音楽の授業で、リコーダーとかをやったりするのが嫌いじゃなかった……ていうのと、私運動が本当に駄目で。あんまり好きじゃなかったから、運動部に入るのははなから頭になくて。
文化部が吹奏楽部と…美術部と、家庭科クラブ?みたいなのしかなくて、じゃあ楽器やるのが面白そうだなと思って吹奏楽部に入った気がします。あれですね、結局「人前で何かをやる」みたいなのを選んでますね。
—— パートは何だったんですか。
クラリネットでした。
—— クラリネットつったらもう花形なんじゃないですか。トランペットと並んで。
希望したら運よく通ったって感じでしたけどね(笑)。主旋律が吹けると楽しいから。当時流行ってたJPOPとかも演奏する機会が割とあったから、知ってるメロディーが吹けて楽しかった。
—— 中学校の時は勉強はどうだったんですか?
中学校の頃から塾に行ってて。勉強はまあ……小中学校の時は、その小中学校の中の狭い中では、そこそこ成績がよかったかなあ。
—— 何が得意だった。
国語ですね。
—— 逆に苦手教科は?
数学。数学はもうてんでダメでしたね。小学校の算数まではまだ何とか、テストで毎回100点取れてたんですけど。中学校で数学になっちゃったらもうダメで。塾には行ってたけどそれでも苦手になっちゃって。克服できないまま、市内で一番頭のいい高校に入るのは諦めちゃった。
—— いつ諦めちゃったの?
中学3年生になって、じゃあもうそろそろ具体的に進路決めようかみたいな時かな。
これから一年ちょっと必死に頑張れば行けなくもない、ぐらいの成績だったんだけど、とにかく頑張りたくなくて(笑)。2番目の高校だったら、今の成績を保てば頑張らなくても入れるぐらいの感じだったから。
—— 道コン(北海道学力コンクール)受けてね。グラフの成績を見て。中学校の時は勉強ばっかりじゃあなかった?勉強も部活もやって文武両道という感じですか?
まあそうですね。部活と両立して、って感じで。
—— そのころには小学校からの友達とまだ仲良くやってたの?それともやっぱり違うグループになっちゃったりするの?
小学校のころに1番仲良かった子が、なんか中学校に上がるとちょっとヤンキーみたいになっちゃって。入学したときにクラスが別れちゃったのもあって、あんまり話さなくなって、私は同じ部活の子達と遊ぶようになって。その子は夜遊びとかもするようになっちゃったし。
—— 小学校中学校の時はお小遣い制だった?
お小遣い制でしたね。
—— 月いくらだったとか覚えてる?
えーと……中学生のときは覚えてないけど、でも小学校のときはほぼもらってないくらいのもんだったな。学年数×100円だった気がする。6年生のころは月600円、みたいな。
—— 最初にもらった時、何に主に使った?駄菓子買ったりとか?
何に使ってたっけなあ。でもたしか家の近くに駄菓子屋さんがあって、そこに行ってた記憶はあるから、多分そういうので使ってたんだと思う。
—— 普段だったら「このお小遣いで最初に買った CD は?」って聞くんだけど、ちなみにCDは?
中1ぐらいの頃に……『NARUTO』のアニメがやってて、そのオープニングとかエンディング曲を一枚にまとめてアルバムにしましたよ、みたいなのがあって。それが自分のお小遣いで 最初に買ったCDだったと思います。
—— どこで?ジュンク堂?
いや、室蘭にジュンク堂がなくて。どこだあれ。長崎屋の中のCD屋さんか、ポスフールかなあ。懐かしい~(笑)
—— 『NARUTO』にはまっていたの?
当時ジャンプ作品全般が好きで。
—— ジャンプって、お兄ちゃんがいたら「お兄ちゃんが読んでたから」みたいな感じに読み始めるのが多いけど、一人っ子って話がありましたよね。ジャンプを手に取るきっかけは?
小学生の頃に、『ONE PIECE』だけはコミックスを親に買ってもらって読んでて。なんか本屋でたまたま目にとまって、それで買ってもらって……みたいな。それで読んでて。
で、やっぱり文化系の部活に入ったら男女問わず漫画とかアニメとか好きな子が多いから。友達に『テニスの王子様』を勧められて読んで、好きになって。それこそ友達はお兄ちゃんがいて毎週買ってて、それを一緒に読ませてもらうみたいな。
その流れで、最終的に自分で買ったり、親に買ってもらったり…みたいな気がする。
—— 一緒に読むのが楽しみな時期もあったけども、待ちきれないし、やっぱ手元に欲しいしね。
そうそう、何回も読み返したりして。
—— じゃあ漫画に結構使ってた時期もあるんだろうね、お小遣い。一冊370円とかなるのかな。
それくらいだった気がする。
—— 小学校の時でも中学校の時でもいいんだけど、両親に何か言われてたことはありますか?「これだけは守りなさい」みたいな話。人に迷惑をかけない、みたいな、そういう生き方についての話。
うーーーん……………本当に、 私の生き方に対してなんにも言わない、両親ともに。何か「あれをしろこれをしろ」みたいなことをほぼほぼ言われた記憶がなくて。言ってなかったはず。すごいありがたい話なんですけどそれは。
—— マンガばっかり読んでないで、みたいなことも言われなかった?
そうそうそう。
—— 悪いことして怒られたとかそういうことも?
あんまりないかなあ。小学生高学年の時に夏休みの宿題をぎりぎりまで大量にためててめちゃくちゃ怒られたくらい。でも人生のMax怒られがそこな気がする。
—— でも放置されてたわけじゃなくて、うるさく言わない、みたいな。理想の家庭だ。じゃあ進学についてとかも、「歩未がやりたいんだったら」って。
それこそもう少しあとの話なんですけど、高校に入ってから、その先進路をどうするみたいな話になった時に……高1のころかな、私は全然真面目に考えてなかったから、進路なんて。
なんとなく「アニメとかが好きだから声優になりたいなあ、専門学校行きたいな」みたいに言ってた時期があるんですよ。本当にやりたくて、真剣に目指している人はたくさんいるから、それ自体が悪いっていうことではもちろん絶対になくて、当時の私が、私の人生をちゃんと考えた結果の回答ではなかった、ていう話です。じゃあ実際どういう仕事なのか、専門学校に行ったとしてその先どうすればいいのか、みたいなことを調べたわけでもなくて。
言うまでもなく簡単なことじゃないし、食べていける保証もないし。それに対しても、「あんたが本当にやりたいんだったらいいんじゃない」みたいな感じだった。今思うと、懐が広いなあと思って。
最終的に大学進学をしたいってなった時も、「東京の大学に行くんだったら、生活費とかも北海道に比べてお金がかかるし、仕送りもある程度はしようと思うけど、その金額もすごい上がっちゃうから、本州に行くんだったらその代わり国公立にしてくれ」とだけ。「札幌に行くんだったらどこでも好きにしたら」と。学費を出してもらえるのもそもそもありがたいのに、仕送りをしてもらう前提なのが、本当にありがたくて頭が上がらない話なんだけど。
—— それで、北海学園大学に。
そうそう。本当に、ああしろこうしろって言われたことがないですね。その大学進学のとき以外は。
—— 歩未ちゃんから相談とかするの、両親には。
中学校の時の吹奏楽部で、同じクラリネットだった同級生の男の子がすごいやんちゃな子で、めちゃくちゃ喧嘩してて、言うこと聞かないし、練習を全然真面目にやらないし。それで「男子ってめっちゃムカつくんだけどどうしたらいいの」みたいなことをお母さんに相談した記憶はあります。
—— それでなんて返ってきたの?お母さんからは。
なんだっけなあ。「あんたくらいの年の男の子なんてみんなそんなだからしょうがないよ」みたいなことを言われた気がする。なにそれずるい!て思った(笑)
—— お父さんとはどんな関わり方をしてたの?
お父さんと一対一で話したことって実はほぼ無くて。なんか、30歳の今にして思うと、私からもっといろんなことを話せば良かったのかなと思っていて。仲が悪くて話せなかったとかじゃないんですけど、本当に、ただなんとなく、機会がなかった。
お母さんとは趣味が一緒だったりして……お母さんは当時からアイドルが好きで。だから一緒に歌番組を見てたりとか。私の好きな漫画とかも、興味持って一緒に読んでくれたりとかしていて、結構仲が良かったんですけど。父親とは本当に全然。
私事ですけど、今年結婚をするのにあたって、いわゆる両家顔合わせをしたんですけど、そこで両親と久しぶりに顔を合わせて。父親の自己紹介とか聞いてると、えっそれ初耳なんだけど、みたいな情報も全然あるんですよ。なんかちょっと反省しました。わたし自分の親の事何も知らないなと思って。
反抗期とかも全然なくて、仲が悪かったわけではないんだけど。まあ私がなんかいろいろとやっていたのを、黙って見守ってくれてたんだろうなっていう。
—— でも今はちゃんとお仕事して結婚までしてって。正しかったんでしょうね。ご両親の育て方は。
高校演劇と大学演劇
—— 中学校をこれで卒業して、一番頭のいい高校には行かずに、市内で二番目に頭のいい高校に行きますが。市内でとは考えていたんでしょ?15歳で単身札幌へ、みたいなことは……。
全然頭になかった。室蘭の中で選びました。
—— 室蘭清水丘高校ですね。高校には演劇部はあるけど、たしか入学当初はまだ演劇を始めないんですよね?
1年生のころは入っていないですね。
—— 高校1年生の頃は何をしていたの?
入学してまず初めには文芸部に入っていて。
—— 文芸部って小説を書く部でいいのかしら?イメージとしては。
まあそうですね。小説とか詩とか短歌。そのときは主に詩を書いてたんですけど。
—— そうだ、今も短歌をTwitterにあげたりしてますもんね。当時つくった作品は手元にあるんですか、詩集みたいな。
実家にはあるかもしれない。
—— それってあれなの?今公開すると恥ずかしいの?
うん、……ちょっと死んだ方がいい。(笑)
—— じゃあ『動く物』入場者特典とかにはできないのね。文芸部では詩を書いてて、詩はなんで書こうと、そしてそもそもなんで文芸部に入ろうと思ったの?
そもそも文章を書くのが好きで、小学生の頃から作文が好きで。
—— そうだ、国語が得意って言ってたしね。
そう。何かを書くってことが好きだったから。中学校には文芸部はなかったけど、高校に入ったらあるよってのを聞いてて。趣味の合うような友達とか先輩とかもいそうだし。で、実際その通りで。
—— じゃあ入ってみて思い通りだったんだ。自分のやりたい活動もできるし、趣味の合う先輩もいるし、同期も楽しいし。それで高校に入って勉強はどうだったんですか?
まあまあそれなりに。本当にそれなりにこなしていた。
—— 文芸部には3年間在籍するの?
そうですね。2年生になってから演劇部にも入ったけど、兼部して3年間。
—— 2年生になって演劇部に入るきっかけというのは?
当時たまたま見たドラマきっかけ、阿部サダヲさんのファンになったんですよ。じゃあ今まで阿部サダヲさんは他にどんなドラマとか映画に出てたのか、とかどういう活動してたのか、とかをすごい調べて、DVDとかを見て。
で、阿部サダヲさんが舞台出身…というか並行してずっとやられてるんですけど。舞台俳優でもあるというところにたどり着いて。映像とかで見てみたら、それがすごい面白いなーと思って。見てて面白いなって思ったことを、自分でもやってみたいタイプだったから、学生の頃は特に。
—— 幼少期のバレエもそうでしたもんね。
たしかに。そう言われれば確かに。(笑) もともとその……人前でなんかやる、みたいなことは好きだったのもあったから、私もやってみたいなって思ったのと、クラスで仲の良かった友達が、1年生の時からずっと演劇部にいて。ああじゃあ途中からでも入れる?って聞いて、2年生から演劇部に入りました。
—— 2008年に入るわけですね。それが自分から積極的に演劇をやるはじまりということになるわけですね。演劇部入って初めての舞台は何月だったの?秋の高文連大会までに先に1回やったりするよね。別の作品だったの?大会でやったものとは。
あ、他の高校との合同公演みたいなのが先かな。
—— そうかも。6月くらいにやってる。室蘭支部はそうだった気がした
伊達緑ヶ丘高校と、登別明日中高教育学校の高等部と。畑澤誠吾さんの『修学旅行』を。
—— そのときは配置は?役者?
役者でしたね。
—— 何役だったの?
ソフトボール部の……
—— あ、じゃあメインの5人のうちの一人だったんだ。じゃあこの前宣伝動画(※注『動く物』宣伝用動画)でバット振る演技入れてたのはその時仕込みってことですね。
そうかもしれないですね(笑)
—— でも大抜擢じゃないですか、だって演劇始めて3ヶ月ぐらいでメインキャスト演じるって。
そんなことでもないです、室蘭支部自体がそんなに大きくなくて。私の高校もあんまり人数がいなくて。
—— 演出は誰だったの?
たしか、伊達緑ヶ丘の顧問の先生。
—— じゃあ寺沢先生(座・れらにも所属)だ。当時寺沢先生は確か家庭科の先生と一緒に顧問をしていて、家庭科の先生は全然演劇やったことない人だったんだけど。その先生が「演劇はわからないけど(劇中の小道具で大量に必要になる)枕は作れます」とか言って大量に作ってたってエピソードを聞いたことがありますね。
そうなんだ。すごい(笑)
それがあって、秋は高文連の大会に出るわけですけども。自分の学校でやってる時はいつも演出は市川薫さん(当時3年生、後に札幌座加入。現在はフリー)だったんですか?
そうですね。部長の。書いて演出していた。
—— それで歩未ちゃんは役者をやるわけですね どんな話?
たしか幕末の話でしたね。新撰組。の周りの人だったかな私は。
—— 剣舞はあるの?
どうだったかな。そんなに。会話ベースのお話だったと思う。
—— じゃあ初めて演劇部で公演した芝居と、7月にシタヤジルシプロジェクト『贋作・罪と罰』で演じた英は結構近い役になっていると。
時代的にはたしかに(笑)
—— それで室蘭支部を勝ち抜いて全道大会に行くわけですよね。当時言われて嬉しかった演出からの言葉みたいなのとか、逆に自分はここができないんだと認識したみたいなのってありませんか?
一番声が大きいのは私だったって言われたなあ。
—— 吹奏楽部だったから肺活量はあるのよね。
そうそう、その経験が生きたのかも。
—— 声が小さいとお話にならないですからね。高校演劇。
広いしね。会場が。
—— だってはじめて7ヶ月くらいで、800人とか1000人とか入る会場でやるわけでしょ。さあそれで全道大会のお話ですが、2008年に釧路で行われた全道大会で、室蘭清水丘は優良賞受賞と。
そうだったかな。
—— 2008年は『これからごはん』(帯広柏陽高校、2009年の全国大会で最優秀賞)が最優秀賞となった年だったんですけど、そこで気になった作品とか、ほかの高校で何か気になった作品はありましたか?
そこで、当時高校生だった小佐部さん(小佐部明広/クラアク芸術堂)が書いた、『寂しい夜の終わり』を観て、確か若者の自殺…生き死にに関わる話だったと思うんですけど、違ったらすみません。でも、「ああ高校生の私たちもこういうのやっていいんだ」って思ったんですよね。
ニュアンスが伝わるか微妙なんですけど、高校演劇っぽくなくて、ふつうに、面白い。うちはまだ生徒の自由にやらせてもらってたんですけど、室蘭の他の学校は、顧問の先生が脚本を書いたり、それこそ高校演劇で名作と言われているような既成脚本ばかりというか、道徳的なものばかりを観てきたんですけど。こういうのやっていいんだ。しかもそれがちゃんと面白い!と思って。おしゃれな感じ。
しかも私の1個上の学生がこんなに面白い台本を書いて、上演するんだと思ってすごい衝撃的だったんですよ。それでこれ書いたの誰だろってパンフレット見て、ああ小佐部さんっていう人なんだって思って、それを高校卒業して札幌に出るまでずっと覚えていました。
—— そうかそうか。この後何回か出演する小佐部明広作品との最初の出会いは高校生の全道大会だったわけですね。その話はまた大学生編のときに聞くとして、その2008年は、部長の凄い力、エネルギーに部員が引っ張られて結果が出た。
そうね。部長にはすごい憧れてたな。脚本も演出もできるし、役者やっても当時から上手だったし。
—— じゃあ市川さんが卒業して、自分が3年生になって、部長とかになったんですか?
部長だったっけかな。その記憶すらない。
—— その記憶すらないの?(笑)
部長ではなかったか。でも3年生のときに脚本演出はしましたね。
—— 役者としても出たの?
新入生歓迎公演みたいな、学内でやったやつには脚本演出をしながら自分も出ました。
当時めちゃくちゃラーメンズが好きで、同じ世代の演劇やってた人はだいたい好きだったと勝手に思ってるんですけど(笑)。なんか明らかにラーメンズ好きなやつが書いたなあ、どっかで見たことあるなあ、みたいな感じの、短編のオムニバスを。
—— そのときは脚本演出もやってたんだ。恐れ知らずって感じですか?
本当にそう。恐れ知らずって感じ。演出誰かがやんないとな、てなって、誰もやらないんだったら、私やってもいいか、みたいな感じで。でも本当に恐れ知らずって言葉が合ってたなあと思います。
—— 清水丘は何月まで部活にいられるの?秋の大会?
そう、秋の大会まで部活にいられるから、10月とかかな。
—— でも3年生のときは全道大会は行ってないんだよね?函館大会でしたけど。
じゃあ行ってないな。全道。
あー……思い出した。先輩の時は、全道に連れてってもらったけど、私は後輩にそれができなかったなって記憶がある。
—— 大会でも脚本演出したの?
そう。それで、一個下の後輩の二年生の役者の子が、大会直前でインフルエンザになっちゃって。
—— そうだ、2009年はインフルエンザがすごい流行してたんだ。
でしょ。それで出られなくて、急遽私が代役で出たんですよ。それもあったから、全道大会に進んで、もう一回ちゃんとその後輩を舞台に立たせてあげたいなと思ってたから、それができなくて結構悔しかったなって記憶がありますね。思い出した。
—— その時はどんなお話を書いたとかは覚えている?
そのときは作家の話だった。ゴーストライターの話で、その元々友人同士だった男性の作家二人で、片方はすごくタレント性のある作家と、片方は実力はあるけどそんなに売れてない作家の二人。前者のほうが鳴り物入りで新しく出版した作品は、実はもう一人のほうが書いていて……みたいなような話だった気がするんです。
—— 台本あるんですか?実家には。
いやないかな。どうだろう。あるかもしれないしないかもしれないし。
—— その作品は大人になって再演とかはないんですか、その作品は。
ないですねえ。(笑)
—— 設定とプロットだけ同じくして書き直してみるとか。
無理だなあ。当時の私すごいなって思います。よく書いたなって。脚本を。
—— 書ききるのすごいよね。1時間の作品書くって。
まあ今思えば、パクリまではいかなくても、どこかで見たことあるようなもののツギハギだったとは思うんだけど。
—— でもまだ当時は佐村河内騒動ないですから。それでもゴーストライターというところに着眼点をおいて。
(笑)。まあ文芸部と兼部していたから、ものを書く人の話が書きたいというか、私にとって演劇以外で一番身近な分野の話だったんだと思います。
—— 作家の苦悩とかは書きやすいからね。自分自身が脚本書いてて悩んだりもするだろうし。
そうですねえ。
—— まあでも文芸部に兼部していたってこともあって、たぶん他の部員からすると、歩未ちゃん書いてくれないかなって思ったんじゃない?
それはそうよね。
—— それ以来は、今に至るまで本は書いてないの?
ない。演出もしていない。
—— じゃあそれ以来は役者一本で。
はい、本当に貴重な経験でしたね。
—— ぜひ資料が欲しいですねえ。当時の。 室蘭清水丘高校演劇部ってまだある?
まだあるはず。
—— あるんだったらさあ、ロッカーに入ってんじゃないの?脚本とか。
えー、やだー(笑)
—— 当時の部誌とか見たいよね。交換日記的なの。
ああ、やってたなあ。
—— そういうのが欲しいよね。こういうインタビューのときとかは。
それはもう本物の記者が集めるやつだよ(笑)。
—— 本当は卒業アルバムも取り寄せたいですから。さあ大学に入るわけですけど、大学はさっきもお話がありましたが、札幌に。本州と迷ったの?
ちょっと迷って。でもさっきも言った通り数学が全くできなくて、センター試験はたぶん絶望的だなと思って。国英社だけで行ける私大にしよう、なんなら普通の試験も受けずに、高校からの推薦があるところにしよう、と選んで。
大学に行っても演劇がしたいなと思っていて、当時すでにNACSの舞台の映像とかも見てたんだけど、NACSが学園大から出たとかも知ってて。ちょうど興味のある学部もあったので、北海学園大学に入って演劇研究会に入ろうと。
—— 当時小佐部がしろちゃん(北海道大学の演劇サークル)にいたのは知っていたの?
知ってました。
—— 知っていたんだ。
これ言うとちょっと気持ち悪いかもしれないんですけど、しろちゃんって外部の大学からも入れるから、北海学園大学演劇研究会に入るか、しろちゃんに入るかはやや悩みましたね。
—— そもそも北大に行こうとは思わなかったの?
思わなかった。そこまで勉強したくなかったから。(笑)
—— それで北海学園大学に入ると。人文学部日本文化学科とのことですが、元々高校で文芸部とか入っていたからそういう影響で。
うん、その通り。
—— かつNACSの影響もありで。北海学園大学の中だったら、演劇研究会に迷わず?他とは迷わずに?
迷わず演劇研究会に。
—— 入ってみてどうでしたか?高校演劇との違いとか。
入って、最初の新入生歓迎の春公演がBLOCHで、米沢さん(米沢春花/劇団fireworks)の脚本演出だったんですよ。それを観て凄いびっくりして私。
あの……恥ずかしい話、札幌に来るまで「地方の小劇場演劇」っていう文化を知らなかったんですよね。知らなかったっていうか、ピンときてなくて。演劇って、東京の下北沢とか、そうじゃなかったらパルコ劇場とか大きいところでやってるものだって思ってたから。そもそも、札幌にそういう小劇場があって、演劇部やサークル以外にもアマチュアの劇団があるっていうのも思い至って無くて。
で、小さいけれどかっこいい劇場を先輩たちが借りて、公演をやってるっていうのが衝撃的で。こんなことができるんだって思って。しかもその脚本がすごい面白かった。2015年に劇団fireworksで上演した『大きな島の木の下で』っていう作品があるんですけど、それの基になった作品を新入生歓迎公演でやっていて。
—— 新入生歓迎公演ってことは歩未ちゃんは観た側ってことですね。
そう、観た側。元々演研に入ろうと思っていたけど、より強く、「早く入ってこの先輩たちと一緒にお芝居がしたい!」って思ったし、米沢さんとの一方的な出会いはまずそこでしたね。
—— 演研で間違いなかったなあと思って加入して。初めて自分で出演するのはいつの話になる?
それは夏の新人公演ですね。毎年9月にやってるんですけど。
—— BLOCHでやったのかな?
そうBLOCH。
—— あのラーメンズも立ったBLOCHで。それは1、2年生の中で誰かが書いて演出するのかな?
そうですね。だいたい2年生の先輩が主体になって、公演を打つんですが。
—— 9月の公演は誰の作品?
そのとき公演は、今はもう演劇をやってない方なんですけども、2年生の女性の先輩の脚本で。そのときたぶん彼女が初めて書いた作品で。
—— そのときはどんな役だったの?
探偵社の話……だったかなあ。あれ、これモンキーポッド(後述)と混ざってるかもしれない。
—— よれよれのTシャツの男が出てくる話?
そのざっくりさなら大体出てきそうだなあ(笑)
—— それは2010年ですよね。そのころになれば調べればもう出てきそうですが。
調べれば出てくるんじゃないかと思って今調べているんですけど。『パズル』ってタイトルです。
—— ということは俺は観ているな。キャス太(ハッピーポコロンパーク)から当時宣伝もらって。
でもね、演研はだいたいの公演が全役ダブルキャストの2チーム制で、そのときキャス太とは別のチームだったんだよな確か。だから私を観ているかはわかんないけど、作品自体は観てくれていると思う。でも調べてもさすがに出てこないな。
—— ほんとだね。検索しても出てこないね。なんか悲しいね。唯一出てきたCoRichの公演ページには2010年9月23日から26日って書いてますが。
あー、当時作ってた演研のホームページ、サービス終了って書いてる。それで見れなくなってる。
—— なるほどね。そっかジオシティーズが。
こうやっていろんなサービスが終了することによって、インターネットの財産が無くなっていくんだなあ……(笑)
—— それが演研での初舞台でしたね。それはトラブルなく終了したんですか?
大きいものはたしか、特段。そうですね。
—— 演研って飲み会ばっかりやってるわけじゃないの?
飲み会ばっかりじゃないよ。ちゃんと稽古もしてたよ。(笑)
—— 普段は講義で使用する部屋を借りて稽古するんだよね。演研のよく見る部室、っていうのは資料を置いてあるくらいで。
部室は本当に5、6人ぐらいしか入れなくて、資料とか小道具とかも置いてあってすごい狭い。
—— 稽古は講義室を何時まで使えるの?
22時まで。
—— じゃあ22時になったら追い出されるのか。延長して河川敷で稽古やろうぜみたいなことはなかったんですか?
なかった気がするな。
—— 稽古は毎日?
そう、ほぼ毎日やってた。
—— 一人の演出家が2チーム見なきゃいけないときもあるんだよね?倍時間がかかるわけだ。
そうだねえ。自主稽古とかもしながらだけど。
—— どうだったんですか?評価は、お客さんからの。
うん、そこそこ好評だったような。
—— 自分としては?手ごたえ的なことは。みんなへでもないな、みたいな感覚とかはつかめました?
いやいやいやいや、むしろ、先輩も同期もみんなすごいなって思って。
正直、入ったばかりのころは、自分高校でやったことあるし、なんてどうしても思っちゃってて。若いし。でも蓋を開けてみたら、むしろ今までお芝居やっていない人のほうが全然面白くて。そのぶん他のいろんな経験をしてきてる、っていうのがまずあるし。
—— 高校演劇の癖とかもないしね。
みんな面白いなと思ったんだけど、今も札幌で演劇を続けている人だと、遠藤(遠藤洋平/ヒュー妄)とか恵利香(橋田恵梨香/劇団fireworks)とかも同期で、かつ大学から演劇を始めた人なんだけど。彼らがすごい面白かったから悔しくて。悔しかったし衝撃を受けて。私は全然駄目だなあみたいなことを思いましたね。
—— 声は一番出てた?
いや遠藤のほうが出てた(笑)
—— それで大学はじめての公演が終わりまして、そのあとは?
その年のさっぽろ学生演劇祭(札幌近郊の学生から有志を集め、合同で公演を行う)に小佐部さんが脚本を出すって聞いて、そこに出演したんですよ。高校の時に衝撃を受けた人の脚本に出られる、それは絶対に出たい!と思って応募しました。『ハイパーリアル』ですね。
—– それでTGR新人賞取るんだもんね。私もオファーもらってたんだけど。高校演劇部にまだ所属していた関係で当時は出られなくて。でもそこで我々共演するかもしれなかったんだね。出てみてどうでしたか?BLOCHでやってからサンピアザ劇場でってなったら大きく感じるかもしれないけど……でも高校演劇のほうがよっぽど大きい会場か。
そうね。そこで小佐部さんなり、哲(有田哲/クラアク芸術堂)なり、伊達さん(伊達昌俊/クラアク芸術堂)なり、りんちゃん(望月りんたろう/カンガルーパンチ)なり……それから長くお芝居まわりで関わったり、遊んだりしていく人たちの一部と、まずそこで出会ったわけで。それがまずすごくよかったな。演研以外にも関わりを開けた、っていう。
—— それからまた演研に戻って、結果として還元できたこととかありますか?
私は結局演研では演出はしなかったですけど。単純に基礎練習のやり方とか台本への考え方は、他団体と交流したことで還元できたかなあ。
—— 小佐部さんに演出で言われたこととか印象に残っているものはありますか?
うーん……出番自体は正直全然なかったからなあ。
—— 僕が同じこと聞かれてもきっと思い出せないと思うんですけど。
うーん……(笑)
—— 小佐部明広はあんまり言わないんですよね。そもそも。全然違う時だけちょっと口出して、てくらいで。
そのとき主役をやっていたのが柴田千佳さんと小山佳祐さん(両名共に後に劇団アトリエに所属、現在フリー)なんですけど、そのころの私からすると桁違いに上手だったから。
どうやったらいいんだろうって相談したりして。小山さんは、相談した時に「例えばこうやったらどう?」て実際にやって見せてくれたんですけど。それがなんか、私はめちゃくちゃすごいできないできないって悩んでるのに、小山さんはすぐその場でパッとやっちゃうから、勝手に落ち込んだ記憶がありますね。相談しておいて。
—— ちょっと初めて演劇で困っちゃったりした時期なのかもしれないですね。
確かに!上を見てしまった。高校の時って狭い世界だったから、あんまり悩んでなかった気がする。
—— 今もあんまり悩んでなさそうに見える歩未ちゃんでも、この時期にはちょっと悩んじゃうくらいだったんですね。
見えるかあ?(笑)ともかく、全然だめだな私って思ったね。
—— 自信を取り戻すのはいつなの?大学のころはずっとだめだなって思いながらやっていたの?fireworksに入るまでは。
割と今でもずっとおんなじ感じ。出来ないなって思いながら、でもやってる。
—— 私できるわ、って思ったことはそれ以降はない感じ?
あんまり、うん、そうね。ないなあ。
—— まあこの世界上がいすぎるからね。
うん、それもあるし。
—— 演研でやってて一番カタルシスを感じた時って言うか、いちばんやってて気持ちよかった、なんの迷いもなく演技できてた瞬間はなにかありますか?
演研の公演ではないけど……初めて fireworks に客演した時のお芝居で。それも本番までは色々うまくいかなかったりとかして、たくさん周りの人に助けてもらったんですけど。終わったときに、一番いろいろ面倒見てくれてた先輩に「すごいよかったよ!」って言ってもらえて、それは嬉しかったなあ。2012年の、『モンキーポッドとゆずこしょう』。BLOCHでやったやつ。
—— モンキーポッドは面白かったもんね。あれは再演だったの?
いや、あれが初演だね。
——『モンキーポッド』で初めてfireworksに。firewoksは出させてくれって言ったの?米沢春花さんに。
うん、当時学生の米沢さんに。
—— そっか、まだ学生だから近くにいてくれてたのか先輩として。
ちょっと話をさかのぼると、2年生のときに演研の地方公演(北海学園大学の演劇研究会と音楽系の複数サークルが合同で、北海道各地の小学校を周り演劇とバンド演奏を披露する)に行って。
その地方公演のメンバーの中に米沢さんもいて、今fireworksで音楽やっている山ちゃん(山崎耕佑/劇団fireworks)もいて。そこで初めて米沢さんと話して。新入生歓迎公演を観てすごい面白かったですっていうのを初めて本人に伝えられたんです。
そういうのがあってから、その年の秋…2011年のさっぽろ学生演劇祭のときに、米沢さんが脚本演出をしてて。「演研の12月公演のオーディション(当時所属人数が多く、希望する全員に役が足りないときはオーディションで選考を行っていた)に落ちたとか、そういう理由でもなんでもいいから、とにかく出てくれる役者を探している」って話が回ってきたんですよ。そういう方便で後輩の背中を押してくれたのか、実際人が足りなかったのか、そもそも誰がそれを言い出したのか今はもうわかんないんですけど。
私そのとき、実際に12月公演のオーディションに落ちていて。だからそれが刺さって、そもそも米沢さんも作品出てみたかったしって思って、出演するって決めて。それが米沢さんの作品に出た一番最初。
—— そうか、そういう流れだったのか。
それで次の年、私が3年生の夏、『モンキーポッドとゆずこしょう』をやるときに役者として声かけてもらって。遠藤とか、今はもう演劇辞めちゃった同期とかと何人かまとめて声かけてくれて。それで初めてfireworksに出たって流れですね。
—— モンキーポッドまでそういう流れだったんですね。米沢さんの公演の面白いと思ったポイントってどういう要素なんでしょう。
とにかくいい座組を作るんですよ米沢さんは。米沢さん本人のパーソナリティだと思うんですけど、カリスマ性もあるし。とにかく明るい快活な現場をつくる。
—— ぜんぜん人を責めないですしね。
座組が楽しいっていうところと、米沢さんが書くファンタジックな物語が好きで。完全にファンタジー、世界観をしっかり作りこみました、みたいなときもあるし、現代の話のときも、要所要所に「ちょっと不思議」要素があって、それがすごく面白かった。今でもずっと好きなところなんですけど。
—— 米沢春花さんに出会ってしまうと、米沢春花さんとやりたいって思ってしまったのね。米沢さんみたいな脚本を書きたいとかじゃなくて。
そうだねえ。そうじゃなくて、米沢さんのもとで役者をやりたいって。
—— そのあと米沢さんは卒業してしまうんですね?
そうですね。
—— 2010年にfireworksを旗揚げしてて、歩未ちゃんが在学中に客演したのはモンキーポッドだけだったのか。
ああ、2014年の3月に『ふたくち』っていうオムニバス公演に客演して、それが私が卒業する直前だったからぎりぎりもう一本。
—— 演研についてのいろんな話にちょっと戻るけど。稽古だけで仲良くなれるようになっているの?飲みに行かないとなかなか先輩と交流できないみたいなのはないの?
稽古だけでも全然。飲み会とか来ない人でも仲良くやってる人はたくさんいたけど。やっぱりフットワークが軽いと先輩にかわいがられるよねえ。
—— それはオーディション結果に関わってくるの?迷ったら飲み会によくくるかわいいあいつ、みたいになっちゃうの?
うーん……まあオーディションするほうもまだ学生だしね。全くないとはならない…ある程度はしょうがないと思うけど。同じぐらいの上手さで同じような演技をする人で、同じような役にはまる見た目だったらそっち(仲のいい方)取るかみたいな
—— オーディションの合否で、部内でギスギスみたいなのってあったの?落ちたらスタッフに入るの?公演に参加しないって選択肢はないのか。
私はギスってなかったと思ってるけどな(笑)。公演に参加しない自由はあったけど、私は落ちたやつも全部スタッフとして参加してたな。予算管理と、受付をやってた。
—— こいつはライバルだな、みたいなこと思った人はいる?こいつといっつもオーディション競ってんなみたいな。
私から一方的に思ってただけだけど、同期の中だとやっぱり、恵利香は華があるから。ヒロインみたいなところによくはまるんだよね。だから恵梨香はわりとずっとコンスタントに受かって公演に出てて、それは羨ましかったなあ。タイプが違うから競ってるかというとちょっと違うけど。
—— 歩未ちゃんもそういうヒロインみたいな役やりたかったんでしょ。
うーん、そうではない(笑)。ヒロイン役というか、単純に公演にたくさん出て、出来ればよりセリフのある役が欲しかったからなあ。
—— 今は恵利香さんとも仲良しですもんね。
当時も仲が悪かったわけではないけど(笑)。でも全然今のほうが仲いいね。
大学卒業、就職、結婚
—— さあ、米沢春花と出会って芝居を作って、上には上がいるということに気づいて。卒業する時はどうするつもりだったの?(某量販店)に入社してたけど、もう内定決まっていたの?
内定決まってた。
——(某量販店)は名前だしていいの?
いやちょっと伏字で。某量販店って書いてください。(笑)
—— じゃあ量販店に就職されまして。それはもう結構早く決まっていたの?それともギリ?
ギリまではいかないけど秋ぐらい。8月9月ぐらいになったら、内定もう決まった!みたいな人もいるわけじゃない。それで焦り始めて、そこの某量販店が一番最初に内定が出て。もうそこで決めちゃった記憶がある。
—— もちろん就活のスタートダッシュは切ってたけど、あんまり本腰入れてなくて、同期の決まった報告とかきいて。歩未ちゃんは某量販店に決まって、そのあとも他の選考あったけどもう決めちゃったんだ?
もう就活したくないなと思って。疲れちゃった。
—— それから半年くらいは卒論がある?
そうね卒論書いて。卒業して。
—— その某量販店に入るときは、面接で演劇をやってるとは話したの?
した気がします。
—— 演劇やりたいですって。お仕事と両立しますみたいな。
そこまでは言わなかった気がするな。
—— ぶっちゃけ入社したら全然演劇できなかった?
全然。無理無理無理。
—— それは入ってから気づいた?
そう。今思えばわかるだろって感じだけど。入ってから気づいた。
—— こんなんじゃ全然演劇できないって。卒業するタイミングでは、その卒業以降の公演のオファーとかはあったの?
その時点ではなかったかな。
—— じゃあ入社してすぐできなくても、直近で困るということはなかったんだ。自分としては嫌だけど。量販店は何ヶ月ぐらいで辞めたんでしたっけ?
量販店は、2~3か月ぐらいで。その年の夏ごろには辞めてた。
—— それは演劇が理由?お仕事としては良かったの?
いや、なんか今にして思えば、なんで接客業なんかに務めたんだろうって思ったのよね。知らない人と全然喋れないのに。(笑)当時はなんか知らんけどできるって思ってたんだけど、合わなかった。出来るわけない、かった。
—— でも学生の時コンビニバイトにはいたよね?
まあまあまあ。コンビニだとだいたい決まったことしか話さないし。
—— 接客経験としてはコンビニだけで。
そう。
—— その業界のこと、全然わかんないですもんね。興味もぶっちゃけないよね。就活のための企業研究はしたけど。
私なんで小売なんかできると思ったんだろうって。不思議でしょうがないんだけど。
—— 札幌勤務だったしね。演劇と離れずに出来るかなって思った。
そう、全然できそうになくて!
あれ、ボイジャー(劇団・木製ボイジャー14号)の『ちゃぶ台の蟹と踊らせて』はいつだっけ。何月だ。
—— ちゃぶ台はねえ。いつだったかな。
それが卒業してから最初の客演なんだけど、その時にはもう退職していたから。
—— TGRじゃなくて…4月に『empty』やってるから、たぶん9月くらいだったと思う。
じゃあたぶん卒業してからのオファーだったんだな。
—— ちょっと在学中の話に戻っちゃうんだけど、在学中は、米沢さん関係以外の客演は小佐部さん周りのみ?
いや、ハムプロジェクトの『メガトンキッス』と、谷口健太郎さんのワークショップ公演と…ほかは劇団アトリエで2回。
—— アトリエの2回はどっちも(信山と)共演しているんだよね。
どっちも共演しているけど絡みがまったくない。
—— 劇団アトリエの客演のときはどうだったの?作り方が演研と全然違ったと思うんだけど。まあ『ハイパーリアル』のときで慣れてるか。
まあそうね。
—— すでに知っている人もたくさんいるし。
めちゃくちゃうれしかった。オファー受けた時。本当にうれしかった。
—— 最初は2012年3月の『色褪せた生、生、生、、、』でしたもんね。短編集の。あれはハイパーリアルきっかけだったの?ハイパーリアルから一年越しのオファーだったんだね。
そう、多分。その間は一方的に私がアトリエを観に行ってた。
—— 劇団アトリエ旗揚げメンバーは、全員もれなく『ハイパーリアル』に出演していたメンバーだったわけだけど。劇団旗揚げのときはなんのお話もなかったの?
そう。だからいいなあと思って。
—— 当時の所属演研だけだもんね。客演出してくれアピールとかしたんですか?
言った気もするけど…どうだろうなあ。これほんとかわかんないですけど、『色褪せた生、生、生、、、』のときに、本当は別の人を呼びたかったんだけど、その人が出演できなかったから私に話が回ってきた、みたいなのを聞いた気がする(笑)。それでもありがたいし、べつに全然どこにでもあることなんですけど。
—— まあ演出をシステマティックにやるひとなので、大丈夫っていう確信があったんだと思うんですが。
全然うれしかったですね。
—— それともう一回が、2013年の『生きてるものはいないのか』で。
そうね。
—— あれは15人くらい人が必要でね。
あれってオーディションとかやったんだっけ?確か普通に声かけてもらった気がするんだけど。
—— やってないはずだな。既成作品に出るのは高校生のときの『修学旅行』以来だったんじゃない?
そうね。たぶんそう。
—— へんてこな話なのであとに生かしにくい感じの芝居ではありましたけども。
(笑)まあでも面白かったな。
—— 現代口語演劇の流れなので、特殊な稽古だったと思いますけどね。ワークショップみたいなのもたくさんやりながら作ってましたけど。でもそういう楽しい経験を演劇でしていたのに、量販店に入ってみると全然お芝居ができない。
話が戻った!そうね、そうなのさ。
—— でも演劇がやりたいっていうのが一番じゃなかったのか。辞めた理由としては。
そうそう。
—— そもそも何で小売店に入ってしまったんだろうって。
五分五分ですね。演劇やりたいのもあったけど、何か別に……演劇のために辞めました、私は演劇で食べていきたいです、とかじゃなくて普通にその仕事が嫌で辞めた。
—— 親に相談したの?
してない。
—— あら、一人で決めたの?
というかなんならしばらく言ってなかった。辞めたことを。
—— 心配かけたくないから?恥ずかしかった?
どっちも。あまり連絡を取ってたわけじゃなかったから、言い出すタイミングもわからなくて。
—— バイトして生活してたの?
辞めた後半年ぐらい本当に無職だった期間があって。貯金で生活してて。
—— すごいな。ちゃんと貯金してたんだね。
少しだけどね。本当は失業保険とかもあったのかもしれないけど、ちゃんとやれば。でもなんもわかんなくて。調べもしなくて。
でもそこで貯金を食いつぶした結果、むこう5~6年ぐらいめちゃめちゃ苦労するんですけども……。半年たっていよいよお金が無いやばいってなってバイトを始めた。
—— それはどんな?
コールセンターに一瞬。けどすぐ辞めて、また別の業種に。
—— コールセンターもちょっと無理だったんだ。コールセンターって役者さんがいっぱいやってるイメージあるからね。
そうそう。時間融通聞くし、時給もいいし。でも話すのがダメで前職を辞めたのを半年で忘れてた。
—— 無職の間には芝居は?
さっき話したボイジャーのちゃぶ台と、あとプラズマニアの『Alice in another!』のオーディションを受けて、出て。それらでなんか割と忙しくしちゃってたから、自分にこう……言い訳をしてて、無職期間がどんどん延び延びに。
—— なんとなく生活が充実してたんだね。では就職したけど数か月でやめてしまったということろまでお話を戻しまして。辞める話は本当に一人で決めたってことだったんだけれども、当時は独り暮らしを?
いや、当時にはもう今の夫…カツキさん(後藤カツキ/トランク機械シアター)と住んでて。まあでも向こうもけっこうちゃらんぽらんな生活をしていたので。お互いに。
—— 生活レベルが下で合ってたのね。
そう、下に合ってた。生活レベルが。(笑)
—— じゃあもしかしたら旦那さんの方はちょっとありがたかったかもしれない。では今の旦那さんとの話にも絞っていきましょうか、出会ったきっかけは?
出会ったきっかけは……まず2011年にハムプロジェクトの公演で一度共演して、2014年のに客演した fireworks の『ふたくち』にカツキさんも客演をしていて、 そのときからお付き合いを始めたって感じですね。
—— なんか喫煙所で告白したんでしょ?
そうそう。飲み会途中のゲーセンでね。一次会から二次会への間。
—— 一次会では付き合ってないけど二次会では付き合ってたんだ。
そうそう(笑)
—— それは歩未ちゃんが告白したんですもんね。カツキさんはすぐ快諾?
何回か共演したり、私が一方的に出演作を観ていたりしていて、素敵な演技をするし、いいひとだなとは思ってたんですよね。でも学生の頃は私がずっと別の人と付き合ってたから、具体的にどう、みたいに思ったことはなくて。
で、4年生の秋ごろに私がその彼氏と別れて。その別れた理由が、当時私にめちゃくちゃ好きな人が出来て、カツキさんとは全く別に。その人が好きだからもう付き合えない別れてくれってお願いして別れたんですけど、結局そのめちゃくちゃ好きになった人とは付き合えなくて、なんか傷心じゃないけど。
—— ぽっかり穴があいた感じで。
そう。で数か月後、久しぶりにカツキさんと共演することになって。これ話していいって言われてるから話すんですけど、当時カツキさんが「とにかく彼女が欲しい、誰でもいいから付き合いたい」って言ってたんですよ。あ、誰でもいいなら私でもいいのかな、と思って告白してみたら付き合えた。
—— すごいよね。それ。そんな始まりでいいのかねっていう。あんまり結婚式とかで再現ムービーとか流しにくいですね。
あんまり運命的な美しい話ではないのよね。(笑)
—— 友達内レベルではそのエピソードもう言ってると思うんですけど。向こうの親御さんとかには話しているの?
カツキさんがどう話しているか次第ですね。わからない。
—— どう紹介しているかってことですね。
まあでも普通にお芝居のところで出会って付き合い初めたよ、みたいに話してるんだと思うんですけど。
—— いいじゃないですか。何年付き合って結婚したんですか?
8年付き合って、今年入籍しました。
—— 結婚祝いとか皆さんしてくれてるんですか?
そうですね、ありがたいことに。うれしいです。
—— Twitter 結構伸びてましたよね。
ありがたいことに。
—— 今年で言うと佐久間さん塚本さん夫妻に次いでみたいな感じのバズリ方でしたよね。
バズりというか(笑)まあ、今までの座組でもお互い特に隠したりとかしてなかったから、友だちとか関わってきた人たちとかはわりと付き合っているの知ってただろうしね。
—— カツキさんも歩未ちゃんも幅広く活躍されているから。
みんな的にも、やっとか、ぐらいだった感じがしますしね。たぶん。
劇団fireworksと『あゆみ』
—— 本当に祝福できる話でよかったです。では恋愛の話を聞きましたので、演劇の話に戻って。大学卒業後に劇団fireworks に加入することになるんですね。
そうですね。大学出て1年半後。2015年の夏ですね。『大きな島の木の下で』終わりなので秋かな。
—— 2015年ってコンカリーニョの壁に色塗った時?(劇団fireworks第10回公演『大きな島の木の下で』の際、舞台美術の一環として劇場壁の色を塗り替えていた)
そうそう。終わった後にまた全部黒くしたやつ。あの公演が終わった後に入ったので。
—— 逆にそれまでは加入はしていなかったんですね?
それまでは入ってなくて、客演での参加だったんですよね。
—— なんで入ろうと?
やっぱりさっき話した米沢さんの作り方、座組が好きだ、脚本が好きだっていうのがまず第一にあって。
米沢さんの作る作品にとにかく出たい。面白いから出してほしい。でも客演としてやってたら、毎回絶対に呼んでもらえるわけでもないし。私はすごい役者として上手なわけではないから、客演として今後呼んでもらえる保証もない。て思ったら、これもなんか今にしてみれば横柄な話なんですけど、横柄な話というか自分勝手な話なんですけど、fireworksに入れてもらって、役者以外のほかの仕事もやって、それで出演させてもらえないか、と。団員として入ることで出演させてもらおうとしました。
—— でもいいんじゃないですか?一番の近道ですからね。
そうそうそうそう。
——じゃあ2015年の『大きな島の木の下で』までは客演としてやっていて、次に正式に団員として出たのは?
ちょっとホームページ見るわ。あれかな、あけぼの(あけぼのアート&コミュニティーセンター)でやった『シーリングライト』(あけぼの学校祭2016参加作品『sea ring light〜歩く姿は潜水艇〜』)。
—— fireworksってちゃんとホームページ更新しているの?
やってるやってる。それこそ私がやってる。
—— そうなんだ。知らなかった。
そんな大したものではないんだけど。うーん……これじゃなくって旅公演かなんかかな?
—— 旅公演、2015年11月の函館ってあるやつ?
ああ、そのときの函館は行っていなくて。
—— 名寄って書いてますね。次は。
あ、2016年2月の旭川がある!これだ、この旅公演に出たのが団員としては最初だね。
—— でも入ってみてもあんまり印象変わらないでしょ、結局客演っていってもみんなでつくるもんですからね。
そうですね。全然思い通り。うちは特に変わらないほうだと思う。
—— 米沢さんが厳しくなるとかそういうことはないの?
ないですねえ。(笑)
—— fireworksはどうやって企画が動き出すの?米沢さんの頭の中でこういう舞台をやりたいと思って?
そうですね。定期的に会議はしてるんですけど、その年の頭ぐらいに「今年は何月くらいにやりたいね」とか、みんなで話をしたり。
ここ数年やってる『北海道短編エンゲキ祭』とかの企画もあったり、今お休みしているけど、『実験の実験』とか。そういうふうに定期的にやってる主催企画もいくつかあるから、それはいつやる?みたいな会議をやって。基本的には米沢さんが主体で予定を立てて行く感じかな。
—— 「私あれの再演やりたいんですけど」みたいな声の上げ方はあんまり団員からは出ないのかな?
あれはそうかな、『だいだらぼっち』の再演。(※2018年『再考・だいだらぼっち~寸足ラズ、ノ国~』)
これは初演が私が学生の頃……まだfireworksに入る前(2013年初演)で、私は客演してたわけじゃなくて、客席で一方的に観てたやつなんですよね。それがすっごく面白くて。
最初に再演しようかって話を持ち出したのが米沢さんか私か誰かかは覚えてないんですけど、これは私が結構「やりたいやりたい!!」て推した気がする。
—— 劇団fireworksとしては、基本的に米沢さんが書いた作品をやる団体なんだよね?
そうですね。短編とかは和泉さんも書いたり、ほかの団体とコラボしたりはしているけど。古典、既成、みたいな作品ってやったことないですね。
—— あのメンバーで既成のを選んでやるってイメージ確かにないし。やったことも少ないだろうし。
私がなんか薄ぼんやり、「あの既成の作品興味あるんですよね~」みたいな話はしたことがあるけど、じゃあ実際に企画して、みたいなところまでは私はまだ動いたことがなくて。
—— じゃあfireworksでいつか柴幸男『あゆみ』をやるみたいなことはあんまりイメージとしてできてなかった?
うーん、そもそも、恵利香とはちょっと話したことがあって。短編バージョンの『あゆみ』だったら、女性3人だから、私と恵利香としおり(小川しおり/劇団fireworks)とかでやったら面白いかもねみたいな話はしたことがある。長編のほうは考えてなかったな。
—— fireworksメンバーは米沢さんの作品が好きでみんな集まってるんだから、米沢作品を優先してやるんだと思うし、米沢さんも書くことが苦ではないんでしょうね、きっと。苦しんだりしているイメージはあんまりないな。
私に見えてる範囲ではそうだねえ。舞台をつくることが好きだからなあ米沢さんは。
—— 舞台ありきでストーリーが動いたりしますからね米沢さんは。
そう、先に舞台装置の構想から作る、って聞いてる。こういう舞台装置を使いたいからこういう脚本にしようみたいな。『畳の上のシーラカンス』とかもそのはず。
—— 2021年夏の作品ですね。
そういう経緯だった気がするので。
—— fireworks をやりつつ、でも、Twitterである時『あゆみ』をやりたいと言った。『あゆみ』をやりたいと思ったきっかけは何だったっけ。
流れとしてはさっき言った「まず短編『あゆみ』はどうかなあ」の流れなんですけど。
そもそも、柴幸男さんの脚本が昔から好きで。大学生の時に大学の図書館で、『わが星』の DVD が観られたんですよ。それを一年生のときに、観てなんだこれめちゃくちゃ面白いって思って。あれも音と動きありきの芝居で。
—— 脚本にするとめちゃくちゃ読みにくい芝居です。
そうそう。(笑)後になって、米沢さんも好きなんだよねって話をしてて。私の好きな人が好きならそりゃあ好きじゃんというか、ああじゃあどちらにせよ私の好きなジャンル、エッセンスは詰まっているんだなと思ったんですけど。
そういう経緯で柴幸男さんの作品が好きになって、さらに『あゆみ』は題名が題名だから、もともとずっと興味はあって。っていう前提の話なんですけど……『あゆみ』をやりたいってツイートした時期に、既成の戯曲とか小説とか詩とかを読んで遊ぼう、みたいなのをやったんですよ。
—— fireworksでやったの?
いや、恵利香と個人的に遊んで。そのときに『あゆみ』も一緒に読んでもらって。やっぱり面白いな~やりたいな~って思ってつぶやきました。
—— そしたらまんまと捉えられて企画が動き出してしまったと。
(笑)
—— だって(つぶやいたときは)実際にやるとは思ってなかったでしょ?
うん。全然。
—— 『あゆみ』は観たことあったの?
正直観たことはなかった。
—— 映像すら?高校演劇で最初にやった時に、全国大会のをNHKで放映してたことがあるんだよ。
台本だけ読んだことがあるだけだった。演劇雑誌で舞台写真とかは見たこともあったけど、映像は見たことがなかった。
—— じゃあやるとどれくらい大変なのかあんまり知らなかったんだ。
そうだねえ……あんまりわかってなかった。(笑)
—— 『あゆみ』は大変だった?
いや?大変じゃなかった。
—— あ、そう?傍から見てるとすごく大変そうだなと思ったんだけど。俺、絶対ロープ覚えられないなって。(2021年クラアク芸術堂特別公演『あゆみ』では、舞台に複数本のロープを張り、劇中に張り替えることで複数の道や場所を表現した)
そうね。まあ段取りとか覚えることは結構あったけど、演出の鎌塚くん(鎌塚慎平/劇団・木製ボイジャー14号)とか、信山君も含め、根本的に良い座組を作ってもらったから。
—— 新田さん(新田絵梨/フリー)とね。
そうですね。一番大変だったのは新田ちゃんだった。
—— なんせ全員分、10人分動きを覚えて演出助手してましたから。『あゆみ』をやりたいって歩未ちゃんがツイートして、信山がそれに反応して上演するって決まってからも、あんまり歩未ちゃんのところには企画の情報が入ってなかったよね?
そうだね。出演者のオーディションをやることも後から知って。後というか、他の方とおんなじタイミングで、Twitterで。ああ、やるんだ~って。
—— 勘違いしませんでした?結局私もオーディション参加しないとなのかしら?って
ああ……その発想はなかったな、やりましょうって言われて、「演出したいですか?出演したいですか?」て聞かれて、「出たいです」って言ったからもう大丈夫だと思ってたよ、それはさあ(笑)
—— ともか(パスプア)はオーディション受けなきゃなのかなって思ったんだって。ともかは個人的に信山から出演の声をかけてたんだけど。オーディションの話をTwitterで見て、オーディションのために仕事休み取らなきゃって思ったらしい。
(笑)
—— 本当にどんな座組になってもいい?って聞いたら本当になんでもござれという話だったし。共演NGとか。
聞かれたもんね。共演NGいませんか?って。
—— だってあったらやだから、NG。
ああ、そういうの聞くんだって思ってちょっと面白かった。
—— この演出家やだな、とかあったら嫌だなと思ったんですけど、なかったので。演出の鎌塚とだけずっと進めてて、言い出しっぺの歩未ちゃんの方には全然情報が行ってなかった時期がありますよね。それで、6月ぐらいに顔合わせがあったんだけど、いきなりそれに放り込まれたんだよね?
そうだね。
—— キャスティングは聞いてたの、事前に?
いや、全部は聞いてない。ちょいちょい、鎌塚と偶然会った時に「私以外の役者って誰か決まっている人いるの?」って聞いたら、茜ちゃん(吉田茜/パスプア)がいるよとか信山くんの後輩がいるよとか聞いてたんだけど、オーディション組に関しては全く何も知らなかった。
—— 稽古を始めて、意外と時間があるかと思いきや、途中で緊急事態宣言が入ったりして対面稽古が出来ない時期もあって。稽古は、自分的にはどうだったの?初めての人もいたと思うけど。
初めての人もいたけど、そもそも鎌塚に演出をやってもらうのが私は初めてで。
—— そうか、ボイジャーに出たときも前田(前田透/劇団・木製ボイジャー14号)演出だったのか。
そう、初めてで。最初は台本とは直接的に関係ないワークショップ的なことをたくさんやったりして。果たしてこれは今進めてるんだろうか?みたいなのはずっとあった。楽しくて興味深かったし、役者としての勉強にはもちろんなるんだろうけど、こう、具体的に段取りとかが進んで行かないと不安になっちゃうたちで、私が。せっかちなんだよね。
まあでも鎌塚がほかで演出した作品とかは見たことがあるし、人となりも知ってるから。まあまあ鎌塚がやってることなら大丈夫だろうって。
—— 座組の中では年長の方に入ってたと思うけど、年下の人と接して何か印象に残ったこととかないですか?相談受けたりしなかった。
あったかなあ。
—— 誰と一番仲良しだったの?茜ちゃん?
そうだね。茜も演研の同期で、見知った仲だし。それとも瑠夏(松里瑠夏/コサト公園)かな?今タイムリーに一番仲いいのは誰って言われると瑠夏かな。
—— 公演終わった後に一番最初に飲みに行ってたもんね。
そうそう(笑)
—— 演技の話を深く、とかはみんなとは出来なかった?そんな余裕あんまり無かったか。
あんまりなかったな。自分のことで精一杯だったから。逆にそういうところでたくさん気を遣ってたのは茜だったから、すごいなって思った。
—— 茜ちゃんがね、いろいろ取りまとめて、ロープの動かし方とか。
そういうところはやっぱり頼りがいがあって。高校のときのバレー部でキャプテンをやってたりとかがあるからなんだろうけど、場を引っ張り慣れしてるなって。頼らせてくれ!って私が勝手に思ってたのもあるし……
—— 歩未ちゃんの『あゆみ』ってことで、そこのプレッシャーはなかった?
多少あった。失敗できんなって。私の『あゆみ』というか……実際企画してもろもろ進めてくれたのは信山くんで、私は本当に「やりたい!」て言っただけなんだけど。
お客さんに、対外的にはその経緯は伝わってないわけで、お客さんよりむしろ座組のほかのメンバーに対してのプレッシャーはあったな。
特にオーディションで来てくれた人たちとかは、私達はせっかくオーディションを受けてきたのに、そうじゃなくて元々に決まってた人の演技がこれかい、みたいに思われてたらすごい申し訳ないし嫌だなと思って。みんな優しいからそんなこと言わないとは思うんだけど。
—— オーディションで選んだ人と、私と鎌塚が選んだ人って、実はどっちにも誰を選んだかって本当は伝えてなくて。こっそりはあったかもしれないけど。公演が終わるまでは、プロデューサーとしては少なくとも伝えてなかったから。だからオーディション組は、誰かオーディションに参加しててで、誰がオファーでなのかは実は知らなかった状態なんだよね。
「あの人オーディション会場にいなかったじゃん」ってならないの?
—— でもね、コロナ対策で、三回に分けて実施したんだよ。思ったより参加者が多くて、30人くらい応募があったから、10人ずつの3グループに分けたのよ。だから、同じオーディションの回にはいなかったけど、別の組のオーディション参加者なんだよってこともあって。
そっか、お互いに全部わかっているもんだと思ってたから。
—— さっきも話にあったけど、歩未ちゃんがツイートして始まった去年の『あゆみ』なんだけど、この企画が歩未ちゃんのツイートから始まったっていうのすら公には誰も知らなかったんだよね。チラシもあいうえお順にしたら、
私が一番上に来ちゃって。「キ」で一番か~って。
—— 僕もどうかと思ったんですよね。
歩未が『あゆみ』の一番上にいるのはさ。ぽすぎるもんね。(笑)
—— メンバーとか役柄で優劣がつけられないなってときは、あいうえお順にいつもするんです。チラシの並びを。今回特にメインは誰って言いたくなかったんだけど、結局あいうえお順にしても歩未ちゃんが最初になっちゃうんかい。って。ABCにしようかとも考えたんだけど。結果ちょっとプレッシャーになっちゃってるんじゃないかなって。
まあね。
—— でも終盤の長いシーンを結局歩未ちゃんに任せたりしたっていうこともありますし。時期としては、きっと歩未ちゃんが35歳になったら違う『あゆみ』になっちゃうと思ったんで、29歳のうちに『あゆみ』を歩ませてあげようと思って始まった企画だったんですけど。満足していただけました?
もう大満足ですよ。そんなふうに言ってもらえることあっていいのかっていうね。作品の出来も、自画自賛ですけど悪くなかったと思うし。
—— 全員が同じベクトルで動けてたのですごくよかったですし。あと全ステージ満員だったしね。
『動く物』
—— さあ、『あゆみ』については信山がしゃべりすぎてあっという間に振り返りましたが、そのあとにね。終演後に二人でしゃべった時に歩未ちゃんから言ってくれたんだよね。
そう。またなんかやりたいね。みたいな話をしてて。
—— その二人でしゃべった時に私から、やりたいんだったらまた作品持ってこいやって。
その後12月に、当時緊急事態宣言とかまん防とかが出てなかった時期で、何人かで集まってお疲れ様会をしているときに、ほんとに持ってきた作品があって。それが、
『動く物』ですね。もともとやりたいなって思ってはいたんですけど、それをそのとき思い出した。
—— 本家(ウンゲツィーファ)が札幌で上演したバージョン(2019年)を観てたんでしょ。
そうですね。
—— どう思ったの、この作品について。どんなところが面白いの?
すごい、すごく日常の会話劇をしてるんだけど、会話劇自体だけでも、その役同士に隠されていた秘密がすこしずつお客さんに掲示されていくっていう流れで、前のめりに何だ何だって気になって見られるんだけど、そこに「飼ってるペットのミチヨシが逃げちゃう」ていう要素があって。
なんかちょっと不思議というか……登場人物たちにとっては不思議じゃないけど、見てるお客さんとして不思議な要素なんですよ。結局そのミチヨシが具体的になんなの、何の動物なのかって分からないし。会話自体は、ああこれ私あのとき同じことを言ったことあるな、ていうのがいっぱいあるんですけど、そこにちょっと不思議な要素を入れてフックとして引っ張っていくっていうのが、バランス感覚がすごい面白いなと思って。これ米沢さんの脚本の何が好き、ってときにも同じ話したな。好きなんだな、本当に。(笑)
あと、セリフがすごい生っぽい。演劇として乗せるにはちょっとシュールで笑っちゃうところもあるけど、あることを言った一行後にもう180度矛盾してたりとか。その役にとっては矛盾してないんだけど、はた目から見て。でも実際の人の会話ってそういうとこあるんだよなあ、とか。
—— 僕は脚本を読んだのが先だったから、たぶん歩未ちゃんが感じた、観た印象とは違うんだと思うんだけど。なんか札幌バージョンも劇場じゃないところでやってたんでしょ?
そう。PECORANERA GALLERYっていう、家みたいなギャラリースペースで、お客さんは10人で満員、みたいな。
—— 元々歩未ちゃんがこの話持ってきたときも、どこか劇場じゃなくて、
そう、実際にどこか家でやりたいって言ってた。もろもろあってカタリナスタジオを使わせてもらうことになったけど。
—— 本家の東京でやった『動く物』も、一軒家の一部屋を使ってやってたのもあるしね。で、本持ってきてくれた年末の時点ではキャスティングは。男女2人芝居ですが、女マミは、
私が演じたいと思ってた。
——相手は誰って思ってた?
まだ考えてなかった。
—— じゃあプロデューサー役として信山に話を持ってきてくれたってことだったのね。
そうね、最初はね。
—— 相手役をやってくれ、とは思っていなかったと。『動く物』今上演が決まったタイミングで改めて考えてみてどうですか?キャスティング、旦那さんの後藤カツキさんは考えなかったの?
ちょっと考えた……けど、同棲してるカップルの話だし、なんかあまりにも寄せすぎだよねっていうね。
その、誰にしようかねーって言ってた時に、だいぶ初期のほうに信山君に「僕はどうですか?」って聞かれて、それがめちゃめちゃ腑に落ちたから。ああ、いいじゃんって思ったから。ほかはあんまり考えなかった気がする。
—— その『動く物』をやる案を持ってきてくれた会の時にもう、俺とやろうよ、って言った気がする。
そうだよね。ああ、そうじゃん!信山君いいじゃん、そもそもその手があったよ!って思って。何回かおんなじ座組にはなったけどお芝居で絡んだことがなかったから、やってみたかったし。
—— 演出をやる気がなかったから。それに2人芝居だから、プロデューサーとしての仕事がそこまで膨大にならないだろうってのもあるし。それからとんとん拍子で、
三週間後くらいには演出が決まりましたからね。
—— 演出探すのも全任せでしたもんね
あの~~……本当に何もかも全任せですね。
—— やりたい作品持ってきて、私を出せっていって、あとは頼むぞと。
ひでえ話だ(笑)本当にありがとうございます。
—— 関口栞さんを演出にどうですか?ってLINEで歩未ちゃんに聞いたら、即レスで最高です!みたいなこと返してきてて。関口さんは『あゆみ』の現場で初めて知った人でしょ?
そうです。
—— 『あゆみ』のオンライン稽古の時に、身体トレーニングのことを教えてくれるお姉さんとして入ってくれて。その関口さんに演出を頼むことに対して、何の不安もなかったの?
鎌塚とか信山くんが知っている人で、どうですかって提案してくれる人だったら、悪いことないだろうし。
—— その時はじゃあまだ関口ブランドというよりも、鎌塚信山ブランドを信用してくれてたってことなのね。
そうそう。それだし、『あゆみ』でお世話になって、全く話したことがない人ではないから。いい人なのは知っているし、アメリカの大学で演劇を学んでいたっていうのも聞いていたし。すごいことですもんそれって。
せっかく普段いるfireworksでもなく、既に諸々決まっている座組に出してもらうわけでもななく、ってことから、もう知っている人とやるよりは、あんまりやったことない人とやってみた方が面白い気がするなあと思って。いいじゃないって思いましたね。
—— 鎌塚がやるとまたかよって思われちゃいますしね。
それはそれで面白くなるとは思うんだけど。
—— 僕も演出家としての関口栞を知っているわけではないので。もともと社交辞令で「何でもやります」って言ってくれてたから、これはかかったぞって思って。なんでもやるって言ったよなあ?って、
元先輩後輩の力関係を見せつけてね。(笑)
—— 関口さんは信山の高校演劇部の後輩なので、ちょっと甘えさせてもらって今回やってるんですけど。でもすごい楽しいですよね。
本当に、すごい楽しい。関口さんが学んできたことをいろいろ教えてもらって……ちゃんと演劇を勉強させてもらってるな、って思う。
—— 演劇を勉強するのぶっちゃけ初めてでしょ?
初めて。演劇をやっては来たけど、「勉強」はしてなかった。初めて「演劇を勉強」してる。
—— ちゃんとね、アメリカの権威あるところで学んできている人ですから関口さんは。肩書きに弱い我々なんで。ちゃんとやっていきたいと思いますけども。
これからの木村歩未
——じゃあここからは最後、これからの話。これからどういう風にみたいなことを聞いていきたいんですけども。これからどういう演劇をしていきたいのか。最終的にどういう女優になりたいのか。みたいなことを聞いていきたいんですけども、まず演劇との距離感的には今がベスト?
と思っている。そうですね。
—— 仕事もちゃんとしてて、平日夜と休日に、稽古なり本番があって。
健康的にお芝居がしたいですね。生活の一部としてお芝居がしたい。なんならもっとお芝居以外の趣味も沢山広げたほうがいい、と思ってるんですよね。
別段「お芝居で食べていきたい」みたいなことを全然思ったことがなくて。それは負い目があって、とかじゃなくて、本心でそう思っていて。もちろんお客さんを呼ぶからにはそれに足るものにはしなきゃいけないけど、無理、無茶はしたくないと思っていて。
—— じゃああんまり複数を同時並行で芝居とか作りたくない?
結果としてそうなることはあるけど、あんまり。まずそんなに器用じゃないし心身のキャパもないし。
選べるような立場でもないし、私なんかが声をかけてもらえる、舞台に立つ機会があるだけですごく嬉しいんですけど、自分が面白いと思ったものをちゃんと愛しながら関われたらいいなと。
—— でもfireworksが好きで、fireworksでやっているんだから、基本的にはそのペースでってことでもいいのかな。
まあそうね。
—— 今度どういう女優になりたいみたいな。女優でこの人がすごかったみたいなのってありますか?
直近にご一緒した方だと長岡さん(長岡登美子/大人の事情協議会)とか。
—— ああ、長岡さん。
さっき出た劇団アトリエの『色褪せる生、生、生、、、』の時に、初めてお会いして。あれはオムニバス公演で、私とは違う作品だったんですけど、本当にすごく上手で。
その時演じられていたのが、子供を殺された親の役だったかな。シリアスな演技がすごく印象的だったんですけど、7月のシタヤジルシプロジェクトの『贋作・罪と罰』でお会いしたら、めちゃくちゃに明るくて元気な方だったんですよ。もうびっくりしちゃって、ギャップに。
すごくいい人なんですよ。座組の雰囲気もとびきり明るくしてくれるし。すごく先輩であんだけ上手いのに、全然年下の私たちにもフラットに「ここどうしたらいいんだろう」みたいな話とかをしてくれるんですよ。「歩未ちゃんのこういうところがすごい勉強になる」みたいなことを言ってくれたりするんですよ。もちろん観ている私にとっても学ぶものがたくさんあるし。
とにかくアクティブに、学ぼう成長しよう、みたいな気持ちでずっと前向きに走ってるんだと思うんですよね、長岡さんは。それがすごい美しいなぁと思って。そういうふうにポジティブに長くお芝居に関われたらいいなと思っていますね。
—— すごくいい話だったんだけどちなみにプロの女優さんだと誰が憧れみたいなのあるんですか。東京にいって観劇とかはあんまりしないのか。
正直言って、あんまりその……札幌でやってる以外のお芝居ってそんなに観てないかもしれない。あんまりよくないんだろうけど。映画とか、東京でやってるやつとか。あんまり観てない。やっぱり近いところにいる人を観てるのが楽しいから。
ああ、あと、単純にやっぱり演技に憧れているのは飛世さん(飛世早哉香/in the Box・OrgofA)かな。飛世さんは抜群に上手いし。今から言うのは私が勝手に思ってることなので、飛世さん本人が聞いたら怒るかもしれないし、客観的に私を見てくれてる人は「違うだろ!」ってなるかもしれないんですけど。
すごく素敵な人でも、「私とは根本的にお芝居の性質が違う、道が違うからああはなれないな」みたいな人っているじゃないですか。たくさん。でも飛世さんは私をもう1000倍ぐらい上手くした先の道にいると思ってて、勝手に。おこがましいんですけど。具体的に「こういう演技がしたい」って思ってるのは飛世さんかもしれない。
『贋作・罪と罰』のときも、「飛世さんだったらこういうアプローチにするかな」みたいなのを勝手に想像して作ったシーンもあったりする。「飛世さんだったらこういう顔するかなあ」みたいな。
—— ちなみに最新作『贋作・罪と罰』では、主役の英(はなぶさ)を演じてみてどうだった?
難しかったです。初めての野田秀樹作品への挑戦でやりがいはすごくあったし、出来る限りは絞りだして、新しい扉もちょっとは開けたとは思うけど、それでも反省点のほうが多い。単純に長編の主役ってあまりやったことがなかったし。
—— がっつり主役でしたもんね。残念なことにこのインタビューが出る頃には配信が終わってしまっているのですが。あんなにたくさん喋る歩未ちゃん見られるとは。
ないですね。なかなかないですよあんなに喋る私。(笑)
—— 『贋作・罪と罰』を経て、今回『動く物』に取り組んで、さらにこれから具体的にやりたいこととかは。作品とかはその時に気になったものはどんどん、もし近くにプロデューサーがいればこういうのやりたいんですけどって言うかもしれない?
具体的な脚本ベースで行くと、『あゆみ』と『動く物』が二大やりたい作品だったから。それ以外は今個人的にこれやこれをみたいなのはあんまりかな。fireworksのこれから予定してる活動も楽しみだし。なんというか、「自分のやりたいこと」を自分でちゃんと自覚できるようにいたいですね。
—— まあ今後またやりたい作品があれば信山プロデュースでやるかもしれませんし。いつでもお声掛けください。
というようなまとめで。今日は木村歩未さん2万字インタビューでした(※編集部注:3万5000字になりました)。
クラアク芸術堂特別公演
『動く物』
作:本橋龍(ウンゲツィーファ)
演出:関口栞
出演:木村歩未(劇団fireworks)/信山E紘希
2017年北海道戯曲賞を受賞した『動く物』を札幌キャストで上演。
9月23日~26日。カタリナスタジオ(札幌駅徒歩7分)にて。
▼公演日程
9月23日(金祝)18:00
9月24日(土)14:00
9月25日(日)14:00
9月26日(月)20:00
▼料金
一般2500円/学生1000円
(全席自由・未就学児入場不可)
▼チケット
予約・アクセスなど詳しい内容が掲載の公式ホームページは
https://www.clark-artcompany.com/ugokumono/
公益財団法人北海道文化財団 文化芸術活動継続支援事業