少数精鋭で作り続ける|小佐部Pの新ユニット・パスプアが旗揚げ

見た人の人生に何か発見をもたらすような舞台をつくっていく——。

そんな目標を掲げて今年発足した札幌の劇団「パスプア」が、2022年7月26日から8月7日まで、札幌のカタリナスタジオ(北区北10西2)で旗揚げ公演『おくるないことば』を上演します。

脚本、演出、プロデューサーは、札幌の舞台芸術団体・クラアク芸術堂を主宰する脚本家・演出家の小佐部明広さん。パスプアメンバーの吉田茜さん、ともかさん、田中杏奈さん、齋藤龍道さんが挑むのは言葉や自己実現を巡る濃密な群像劇です。

夏真っ盛り、さわやかな青空に背を向け、あえて重いテーマの物語を約2週間にわたってつくりあげるのはなぜなのでしょう。皆さんにお話を聞きました。

(文・写真=シカタカオ)

パスプアが生まれた経緯

ー パスプアはどういう経緯で生まれた劇団なのですか。

ともかさん(以下、ともか) たぶん私が最初だと思うんですが、小佐部さんから声をかけられました。去年の誕生日の夜にライン電話で(笑)。2年前に(小佐部さんの作品で)一緒にお芝居したくらいだったので急に何だろうと思ったら、演劇一緒にやってみないかと。

一つの団体として同じメンバーでいろんな作品に取り組むところに魅力を感じました。元々団体に所属せずお芝居からも遠ざかっていた時期でした。やりたいと思いつつ縁がなかったので、チャンスだなと思って入りました。

琴葉役=ともかさん

田中杏奈さん(以下、田中) 私はゆりいか演劇塾という小佐部さんの演劇ワークショップに参加していたんですが、仕事の都合で公演に出たり出なかったりでした。去年、小佐部さんからライン電話があり、お芝居一緒にやりませんかと(笑)。

私は劇団に所属したこともないし仕事もしていて両立が難しく、返事は保留していたんです。でもよく考えて、一回ガチで演劇をやってみよう、挑戦してみようと思って参加しました。

ユウ役=田中杏奈さん

吉田茜さん(以下、吉田) 私は2年前まで別の劇団に所属していて、そのあとはフリーでした。去年の12月くらいにともかからラインが来て「小佐部さんに連絡先教えていいか」、と(一同笑)。小佐部さんとはあまり接点もなかったので、直前に出演したクラアク芸術堂のお芝居で私が何かやらかしたのかと思ったんです(笑)。

でも小佐部さんから(パスプアの)メンバーやいろいろな構想を聞いて、その場で参加を伝えました。 私も「札幌演劇に新しい風を吹かしたいな」と思っていた時期だったので、パスプアでなら新しい演劇が作れるという期待もありました。

あいこ役=吉田茜さん(左)

齋藤龍道さん(以下、齋藤) 僕は吉田茜さんに連絡もらって「小佐部さんに連絡先教えていいかと」(一同爆笑)。僕自身は演劇を十何年やってきましたが、ここ最近はコロナもあって人前に出ることを避け、公演にも出なかった。このまま役者を辞めるのかな、という思いもある時のお声かけでした。

考えてみると札幌の劇団もメンバー固定とはいえ客演があったり、公演のたびに新しいメンバーで上演することが多い。同じメンバーで積み重ねていくことができない。パスプアは4人の少数精鋭で年間何回も公演をやる。「このメンバーで積み重ねていけたらものすごいユニットになるし、そういうユニットを僕は作りたい」という小佐部さんの話を聞いて「どうせ役者を辞めると思っていたし、やるならすごいことをやり続けたほうがいいな」と思って決めた感じですね。

弘之役=齋藤龍道さん

ジョージ・オーウェルからの着想

ー 「おくるないことば」は小佐部さんがイギリスの作家ジョージ・オーウェルの『1984年』に登場する「ニュースピーク」に着想を得てつくったそうです。『1984年』は全体主義国家の恐怖を描いたディストピア小説で、ニュースピークは人々の思考の幅を狭めるため、言葉を限界まで少なくしてつくられた新言語です。本作では「新しい日本語」(にっぽんご)として登場し、「良い」という言葉があれば「悪い」という言葉は不要で、「逆良い」とするなど実にいびつです。しかしそんな言葉が国家の方針として推進され、人々の思考や暮らしを変えていきます。台本を読んだ印象はいかがでしたか。

吉田 私は自分がこの世界にいたら絶対に自死するなと思いました。今まで使っていた言葉で自分の内側にある感情を伝えてきたのに、急に制限をかけられたら耐えられないなと。演じるあいことは関係なく、自分に置き換えてしまいました。

ともか 改めて自分の使っている言葉について再認識させられました。言葉ってもっと自由であるべきじゃないかなって私は思っていて、その感覚を持っているのが私が演じている琴葉だと思います。新しい日本語のメリットも何となく分かるんですよ。効率的だし統一感はある。作品に出てくる新しい日本語が嫌というより、今の私がいる世界で良かったなと思いました。

田中 最初に読んだときはフィクションとは思わなかったです。一歩間違ったらこの未来もあるなと。

配役前から私はユウ役がいいなと思っていました。ユウはこの世界に適応していくというか、新しい日本語を使うことが正しいと思って筋を通していく。それがかっこいい。

私も適応というか受け入れていくことは大事なことだと思っています。自分の生き方と似ているところがある気もして、ユウというキャラに魅力を感じました。

齋藤 僕は割と俯瞰で物語を見ていました。4人の織りなす物語の中で時代とともに言語が変わり、人が変わっていく。言語の変化は人の進化につながり、生活レベルも変えていく。

僕の演じる弘之はそれを目指しているんです。積み上げていくものが最終的にどうなるのかというのは読んでいて気になって、予想がハマったときの気持ちよさみたいなものもありました。

弘之はすごく弱い人間です。弱い人間が強くなろうとするのは当たり前なんだけど、自分が変わることよりも、自分の得意な言葉を使って日本自体を変えてしまおうとする。とんでもない脳みそを持っていながらも行動の根源は弱さなんです。

ー 琴葉とユウの冒頭のやりとりを除けば承認欲求や自己実現への願望が人々を狂わせていくと思える重い物語が続きます。演じている皆さんもかなり精神的に負担があったのではないでしょうか。

一同 すごいしんどいです(笑)。

吉田 体もしんどいし心もしんどい。

斎藤 吉田は僕とからむシーンが本編で3つくらいありますが、シーンをやるたびに手が震えているんです。

吉田 演技は大丈夫なんですけど、浴びせられる言葉に体が反応して左手がずっと震えているとかあるんです。きつい言葉を浴びせられるので、心労がなんかもうひどいですね。言葉のもつ力を常に実感しています。だからワンシーンのたびにもう無理〜とへたりこんじゃいます(苦笑い)。

ー きついセリフは言う側もしんどいと思いますが………。

齋藤 弘之は相手を傷つけるようなことをわざと言っているのですが、これは自分が弱いことを隠そうとする行動でもあるので、相手に対して高圧的に行けば行くほど内心はその比重に耐えられなくなっていく。相手が許してくれるという安心感を感じたいから自分が優位に立とうとする。その関係性を何とか維持しようとする。

演じていてお互いしんどいと思うのは、そのバランスがシーンの中で破綻するところだと思います。絶妙な均衡がある一瞬で「バキッ」っと崩れた瞬間は結構「ううっ」ってくるんですよね。

ともか 舞台の冒頭はしんどいとは間逆な琴葉とユウのロマンチックなシーンなんですが、ロマンチックだからこそ途中で浮気を問い詰めるようなシーンでぐさっとくる言葉を言われたりしたときの落差が大きいですね。

琴葉は言葉のやり取りを通してこれは恋だと気づいたけれど、(言葉への感性が強いので)次第に相手の言葉の使い方に違和感を覚える自分にも気づいてしまう。でも嫌いとも言えない。そういうジレンマを抱えながら役を生きるのはしんどいな、というのはあります。

田中 私はしんどいというか、琴葉の反応を見るのがしんどいです。自分が言った言葉や反応を見ているときにすごくつらそうな………。

ともか しんどいと思ってたんだ………あはは。

田中 (言葉を溜めて強調)いち、わたしはね。田中杏奈はその反応を受けるのは正直しんどい。ユウは逆に感じないというか、自分は正しいことをやっているという芯がある。ユウは言葉というのは自分にとって便利で都合がいいととらえているだけで、相手を傷つけたいとかの悪意はない。

ユウを演じていての辛さとかユウの生き方に否定的な感情はないんですけど、私自身は琴葉寄りな志向を持っているので、私の演技でしんどそうにしているともかを見るのはしんどい、という気持ちはあります。

自分にとっての「言葉」とは

ー 「言葉」というテーマを軸に、国家によってもたらされる絶望的な状況に順応するのか抵抗するのか、そんなことを考えさせられる内容でもあります。お客さんには何を持ち帰ってほしいと思われますか。

齋藤 この作品には物語が積み重なっていく面白さがあります。話の内容がきつかったりとかちょっと重くない?って思うような展開があったとしても、この4人がどう変化してどう話を組み立てていくのか、世界が変わり、人々が変わっていく、それらの積み重なりを見る楽しさと、それらが崩れる瞬間を目にする面白さがあると思います。

何よりも観た後はみんなちゃんと言葉を使いたくなるというか、もっと家族や恋人や親友とちゃんと話そうと思う瞬間が訪れると思います。

吉田 今思ったんですが、この物語には感謝の言葉がないんですよね。そういう「思い」をていねいに伝えられる言葉のありがたさとか、自分がいる環境に対して考え直してもらえればと思います。

登場人物の4人の言動はお客さんの過去や現在起きていることと重なるところがあるはずです。その4人の誰かと同じ状況だったとき、「私は、僕はどうする」って重ねながら観てほしいです。勇気や絶望を感じるかもしれないですが、何か一つでも自分の感情が動いたことを、持って帰るというか経験してほしいと思います。

ともか なにげなく言葉を使って意志や思いを相手に伝えていると思うんですけど、言葉自体がちょっとでも変わると人間関係すら破綻してしまう、その恐ろしさに気づいてほしいというのはあります。

論理的に会話を進めていっても結局人の気持ちは理論的な言葉で片付けられないというのは、演じていて思います。そんなこともお客さんにも体感していただきたいなと思います。

田中 ……ほぼほぼ言われてしまった感じですね(笑)。このお芝居のテーマになっている言葉ですが、見ている方々が「自分にとっての言葉は何だろう」と考える切っ掛けになればいいなと思ってます。

言葉はただ単純に正しく使うのか、自分の思いを伝えるために使うのか。同じ言葉でも相手にどう伝わるかが違いますし、そういうのを考えさせられる舞台じゃないかと思います。普段なら考えない言葉に対する気付きがあればいいなと思います。

パスプアの構想

本作は演技に加えてコンテンポラリーダンスが使われており、冒頭のシーンは映画『2001年宇宙の旅』のオープニングを思わせます。

入場料金3,100円のうち入場時には100円だけ払い、残りを払うかどうかは終演後のお客さんに任せるという実験的な試みも取り入れられています。ものには適正価格もあると思いますが、その意図を含めて小佐部明広さんにもいろいろ伺いました。

脚本・演出=小佐部明広さん

小佐部 パスプア(PASPOOR)はサッポロ(SAPPORO)のアルファベットの入れ替え(アナグラム)です。ちょっと未来感のある名前にしたかったし、音の響きもいいし、札幌の俳優たちで作る団体が札幌を拠点にしてやっていくぞ、という思いを込めてつけました。

もともと特定の人たちと何度も芝居を作ってレベルアップしていくという構想はあり、2017年にプロト・パスプアという団体を立ち上げて一緒に演る人を見つけていこうと思ったんです。最多で4人いたこともあったのですが、コロナだったり様々な事情により、さみだれ式に一人ずついなくなっていきました(笑)。

それでもやりたいと思い、これからも演劇をバチバチやっていく意志があり、かつ他の団体に所属していない人に思いを巡らせた結果、このメンバーになりました。

基本的には演劇をやっていきますが、(主宰する)クラアク芸術堂とは違い、身体表現を使うとか、少人数で芝居を作ることを重視したいと思います。2014年にコンテンポラリーダンスを見て感銘を受けたんですが、舞台ってもうちょっと自由で、セリフだけではなく色々組み合わせていけるんじゃないかと思っています。今回はシーンの転換に身体表現を取り入れています。

今回の一般チケットは3,100円ですが、「#百円観劇プロジェクト」と称して希望者は100円で入場できます。差額の3,000円は終演後に払うか払わないかを決められます。

「面白かった!払いたい!」という場合は払っていただき、「自分には合わなかった……」「最近金欠で……」「最初から100円で見るつもりだったし……」などの場合は払わずに帰ることができます。理由を言う必要もありません。そのまま帰って大丈夫です。

「100円観るのは申し訳ない……」という場合は、ぜひSNSで「本当に100円で観られた!」などと広めてもらえるととても嬉しいです。500円、1,000円だけ払うというのもアリです。グッズも販売予定ですが、3,000円払わずにグッズを買っていただいても結構です。

舞台になじみのない方には高いお金を払って舞台を観ることに抵抗があると思います。スーパーの試食コーナーやwebサービスのお試し期間のように、舞台にも「まずは試しに体験してみて、それからお金を払うか決める」という仕組みがあってもいいと思いました。

お金がなくて文化芸術を楽しみに行く余裕がない、という方もいらっしゃると思います。そういったことも含めてこの「#百円観劇プロジェクト」という企画を試す価値はあると思いました。この企画のせいで大赤字になってしまった場合は、どういう形がいいのか模索していきます。

公演情報はこちら

お問い合わせ

pp.paspoor@gmail.com

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