【劇評】ゆりいか演劇塾「ピータァ・フック」

 

ゆりいか演劇塾「おとぎ」「ピータァ・フック」

2017.02.10

劇評「ピータァ・フック」

3/20(月祝)シアターZOOにてゆりいか演劇塾「ピータァ・フック」(こさべあきひろ作演出)を観た。架空の地域である北海道北成別市の劇団、演劇集団ネバー・ランドが札幌市の劇場に公演をしに来た。それから3年後、再び劇団ネバー・ランドが札幌にやってきて、3年前と同じ作品を上演する。演劇をやる現代の若者たち、大人になりきれない人々を描く。

ネチネチした演劇である。

前回の劇団アトリエ第12回公演の「ピータァ・フック」を見ているせいだろうか。どうしても当て書きの強みを生かせる脚本であることを感じてしまった。無理して背伸びしているようなそんな窮屈な演技をずっと見させられる。劇団というのは公演終了後こういうことをしているんですよというただの紹介のシーンになってしまっているか。それともこのテンポの悪さ、もやもやする感じは後半への伏線だったのか。伏線だとしたら見方を失敗してしまった。

高橋がいい。なにを考えているかわからないフリーターのふりをして、最後もっていくという一本通った芝居をしていた。彼も一年色々考えることがあったのだろう。誰か近くにお手本がいたとは思えないので、彼自身のプライベートの成長なのだろう。三年前主演をはっていた佐藤智子は少し幼いか。東京受けする女優の身体つきじゃなかったことがすこし悔やまれる。本当は大成していないのではというミスリードにもなりうるか。おしはるごとうのしっかりお姉さんコンビに比べて牧野がすこし軽すぎる印象。キャラ芝居におされて、彼女の立ち位置がすこし滲んでしまった。計算できなかった軽さに見えてしまった。

劇団というのは不思議な集団だ。しなくてもいいことをして頑張っていて、それでいて排他的で、他の集団(例えばバンドや大学のサークルなんか)と比べられるのを大いに嫌う。

演出家若月は、劇団の長だとか演出という肩書だけを背負っているわけではなく、すべての演劇人にとって代わる存在として描かれているのだろう。だれもが市役所勤めや劇場勤めの彼女らのようなスタンスで演劇に接していたい。かといって演劇をやめるつもりもない。理想と現実を別の人格として演じられている。演劇に関わる存在が多様であるということ以上に、演劇に携わる我々の多重人格性を役者全体で表現しているのだ。

あたかも簡単に子供ができ、就職するというラスト。いきなりできた子どもはトラジティの主人公。高橋の悲劇的な「だな!」という叫びによって、世界は闇に包まれる。それさえも後藤の中ではコメディだ。最後まで微笑みを崩さなかった。

滝沢正
札幌市在住。会社員24歳。週末は芝居かサッカーかネットかゲームか。
演劇を観はじめてかれこれ8年。観たこと・感じたことをすこしでも記録に残して、札幌の演劇界と共に盛り上がっていきたいと思っております。

Facebookで
d-SAPを応援しよう